教育福島0055号(1980年(S55)10月)-029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

学級だより

 

武内敏子

 

武内敏子

 

あたり前のつもりで行っていたことが、意外と良い結果をみて驚くことがある。

四月当初、挨拶がわりに出した「学級だより」も回を重ねるうちに、書く方も読む側も次第に力が入り、こんなはずでなかったと戸惑いを感じているほどである。

こちらも書きはじめのころは気楽なもので、五年生三十六名の活動記録を作るような気持ちで書き出したのであったから、父母がどれだけ読んでくれるかあまり期待ももたず、発行日も学校事務や行事の中をぬってのことで、かなりルーズなものであった。ただ、内容的には形式的なものから脱却をねらって、善意の行動を優先して取り上げるように努めてみた。

五月末の家庭訪問で、お母さんに、「毎週のように書いていただいて、家にいて学校の様子がわかります」と言われてみて無計画なのを反省したが、日を決めると無理がでてきて長続きしないと思い、「書きたくなったときに書くことにしています」と返事した。

確かに四、五日もすると記事で頭の中がいっぱいになる。時期を逃すとニュースの価値もなくなりそうで、書きたい意欲にかりたてられてくる。学級日記から子供の文章をそのまま抜き出してみたり、教室の展示物の紹介をしてみたりもした。ヒメダカの誕生を喜ぶ子供の様子やテスト内容の分析結果を知らせたりもした。「言葉の中から」と題して方言のことを取り上げたら、忘れていた言葉や青春時代を思い出して懐かしかったとの声も聞かれた。

六月の初めごろになると、「たより」を手にした子供たちは一瞬静まりかえるようになった。全部に目を通す真剣な姿が見られ、中には記事の催足をする者も出て、家族の声が直接伝わってくるようになってきた。「読んでもらえる」と思うだけでファイトがわいた。

思えば、なに気なく書いていたつもりの「学級だより」も、親、子、教師それぞれに共通の問題を含んだ記事であったのだ。一つの記事から家庭での対話が生まれ、それが励ましの言葉になったり、こごとに変わったりしたに違いない。意図的にそれを望んで書いたわけではなかったが、いつの間にかそれが親と教師の距離を縮め、子供の物の見方や考え方を深めていったのではないかと思う。

七月上旬には、夏休み中の暮し方を考えて家での生活のアンケートを片すみに付けてみた。「整理整とん」「テレビの見かた」「家庭学習」「返事のしかた」などである。ここでは、望ましい子供の姿は、家庭でも学校でも共通した考えで指導に当たるものだということを子供自身にも知って欲しいという願いをこめてだった。

学期末の参観日の時にある母親が、「家庭でアンケートの○をつけ合いました。家庭生活でもよい反省になりました」と、細かにその内容を説明してくれた。

こんな家庭が一つでも多く出てくれることによって、相互理解が生まれればよいと願っている。そして、単純な考えでの出発であったが、してきたことが無意味でなかったことに心を強くしている現在である。

一学期最後のたよりを手にしたある男の子が、

「先生、二学期も書いてくれるんでしょう」と言ったが、子供の期待しているものがわかるような気がして、思わず笑顔で深く二度、三度うなずいてやった。

(浪江町立浪江小学校教諭)

 

記事はこの子らの中にいっぱい

 

記事はこの子らの中にいっぱい

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。