教育福島0055号(1980年(S55)10月)-031page
随想
ぞうきん
上川洋行
梅雨時になるといつも「あじさいの花」と「ぬるっとしたぞうきん」を思い出す。うっとうしい雨のなかに咲き誇るあじさいの花は、子供ながらに心ひかれるものであった。
使った後、よくもみださないでおいたぞうきんの、あのぬらっとした感触は、学校時代の掃除を思い出させる。ぞうきんのあの不快さにもかかわらず学校での掃除の思い出は、何かほのぼのとしたものでさえある。
小学校時代、上級生になると、当番として一年生の教室の掃除があった。兄貴分になった気分で、幼い一年生の前で、いささか得意であった。また、組担任以外の先生に接することに新鮮さを覚えたものだ。
廊下に一列に並び、「用意ドン」号砲一発ぞうきんがけをするのは楽しいことでもあった。掃除の中に遊びの要素が混在していた。はにかみやで、同級の女の子と面と向かって、話もできなかっただけに、一緒に机運びができることは、一種のよろこびであった。
中学生になった夏、中学校の新校舎が落成した。この校舎の便所の床は、廊下と高低の差がなく板ばりであったため汚れ易く、校長先生には、便所掃除のし方だけでなく、現場で小用のたし方も教えていただいた。物は大切に扱わなければならないと、よく話された先生であった。
高校時代の校舎は木造であった。先生が不在だと、バケツで床に水をまき水がまんべんなくゆきわたるように、ぞうきんでなで回すこともあった。「たれか棒」と称し、棒の先でぞうきんを操るなど、創造性(?)を発揮する者まで出現した。このような掃除であったから、校舎をきれいにしたかどうかは疑問だが、その中から新しい友人関係が生まれ、何か連帯感のようなものができていったように思える。
生徒と一緒に掃除をよくされる先生がおられた。悪たれどもも、先生にほうきを持たれては、それなりに精を出さざるを得なかったし、「代わります」と先生のほうきに手をかける者もいた。掃除の時に、恩師の姿がうかんできて、時折り、生徒と机運びをすることがある。
何かの折りに、宝塚劇団の音楽学校の生徒が、レッスンで使う室を、素手で床をなでて掃除をしているのをテレビで見たが、ここに学校掃除の一面をみた思いがした。
教師になり、足掛け十九年、男の高校生の掃除につき合ってきた。
生徒の中には、四角の平面を円く掃き、大きなスポーツバックが床にあれば、そこを避けて掃く者がいる。ほうきで掃いてはいるが、床をきれいにしようという意識があるとは、どうにも思えない。あるいは掃除のし方がわからないのかもしれない。時には、そうじのやり方を教えることから始めなければならないとも思う。
わたしの場合もそうだったかも知れないが、高校生の中には、掃除などは余計なことだという意識を持っている者もいる。また、罰の形態としてとっている生徒もいたりして、掃除そのものに暗い印象を持っているのかもしれない。ただ、習慣として、何となく掃除をやってきたし、またやらせてきたのではないか、……自問してみた。
生徒と教師のいわば道場ともいうべき教室を、みんなで整理整頓し、自分で使い汚したものは自分で後始末をする。公共物は大切に扱い、後輩に引きついでいく。これらは学校における掃除のねらいのひとつであろう。
学校教育での掃除のあり方を、生徒とともにもう一度考えてみたい。
(福島県立福島東高等学校教諭)
清掃に心をこめて