教育福島0056号(1980年(S55)11月)-022page

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随想

自然の恵み

物江清光

 

で、十六名の子供たちとともに毎日、落ち着いた平穏な学校生活を送っている。

 

緑濃い田畑に囲まれた豊かな自然環境の中で、十六名の子供たちとともに毎日、落ち着いた平穏な学校生活を送っている。

十六名の子供たちは、それぞれ顔形が違うように性格も能力も体力もみな異なり、多種多彩である。少し注意されただけですぐ涙がこぼれてしまう泣き虫もいれば、ちょっとしたことを気にかけて短気をおこし、衝突してしまう子もいる。しかし、みんな気のいいごく普通の子供たちである。

T男は、算数が苦手である。一度だけの説明ではなかなかのみこめないので、二度、三度と繰り返して説明を聞かなければならないはめになる。こちらでは、ようやく分かったかなと思って安心していて、数日たってから確かめてみると、あらかた忘れていることのほうが多い。

S夫は、男の子の中で一番腕力が弱い。ちょっとした意見の対立で衝突が起こると、力では勝ち目がないので、爆発してめちゃくちゃにかかっていくことになる。しかしたいがいは、その体力不足のために打ち負かされて、泣き出してしまうのが普通である。

不得意な教科のあるT男でも、力負けばかりしているS夫でも、不断は学級のみんなとうまくやっているし、感心させられる行動も多く目につく。

T男は、草花の世話をするのが好きであり、得意であり、昨年、三年生のときの理科の学習では、根気強く、継続してへちまの世話をした。

種をまいて芽が出たときには、枯れないように、早く大きくなるようにと一生懸命に水くれをやり、花が咲いて実がつくようになってからは、いくつなったとか、どのくらい大きくなったとか、絶えず関心を持って観察をしていた。

こんなT男が、へちまの苗の植え替えのときに、手足がどろだらけになったことなど気にしなかったのはいうまでもない。

いつも体力負けをしてくやしがっているS夫は、小鳥のめんどうをみるのを忘れない。

普段の日は、わりとのんびり登校するのだが、小鳥の世話をする日となると朝早く来て、正面玄関の前にある小鳥小屋を出たり入ったり大忙しである。友達とにぎやかに笑ったり話したりしながら、小鳥に餌や水をくれてやっている。

子供たちにとって、自らの意志で働きかける場があること、語りかける自然に恵まれていることは幸せである。

ひとはちの草花のめんどうや小鳥の世話であれ、へちまの栽培であれ、どんな些細なことでも、土に親しみ、自然に対して能動的に働きかけることができる場は、人間味豊かな心を培う場であり、問題行動を生み出す場ではないだろうと考える。

「教育の荒廃」という言葉は、いつごろから使われるようになったのだろうか。家出・登校拒否・薬物乱用・家庭内暴力・万引など、児童生徒をとりまく現状は、芳しくない言葉によって表現されることが多い。

憂うべきことが多く、苦労している先生がたが教多いときに、非行などに心を煩わされることなく、学習に遅れて進む子をどのように導いたらよかろうかと、それに専心できる幸せを思わないわけにはいかない。

都会には都会の、地方には地方のよさがある。地域や学校の実態を生かした教育とは、ゆとりがありしかも充実した学校生活を送っている子供たちとは、いったいどんな姿なのだろうかと思う今日このごろである。

(会津高田町立藤川小学校教諭)

 

でっかいぞお

でっかいぞお

 

 

 


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