教育福島0056号(1980年(S55)11月)-023page

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随想

赤い屋根の校舎で

渡部清子

 

堵感を抱いてきた私の脳裏に前任校の先生がたの姿が浮かんでは消えて行った。

 

二年前の四月、私は雪の壁がまだびくともしない広大な自然のふところに抱かれた山村の中学校に赴任した。全く初めての土地で三学年主任の仕事を一年間やり通さなければならないという張りつめた気持ちと同時に、雪野原に、一人ほうり出されたような孤独を切実に感じた。今まで良き先輩諸氏のおられることに、安堵感を抱いてきた私の脳裏に前任校の先生がたの姿が浮かんでは消えて行った。

田島町からバスで五十分。中山峠を登り切ると、標高六百〜七百メートルの高原の冷涼な空気が流れてくる。明け方から満天の夜空に至るまで、自然の美しい姿に心を寄せずにはいられない。この美しい自然の中で生徒たちは児童館から中学校卒業まで、十年もの間教育を受け、ほとんど変わらないお互い同志の気持ちに慣れを生じさせていた。それが生徒たちの心に大きく根を張っているように思われた。

昨年、私は三年担任から一年の学級担任になった。ピカピカの一年生の心には緊張感がみなぎり、私も久々の学級担任の仕事に張りきっていた。はっきりとした言動を持って生活してくれることを期待しつつも、それはなかなかできるものではなかった。お互い暗黙の了解で何事も簡単に済ますことが多かった。自分たちの学校生活を振り返り、明日への向上心を持てないでいる生徒たちに問題を意識させる必要があった。短学活を通しての自己反省など、担任からの助言もあまり薬にはならなかった。私は、十年も一緒に親しんできた友との慣れあいをどう受け止め、向上心を持たせるための指導はどうしたらよいか困惑した。

消極的になりがちな授業に、生き生きとした空気が満ち満ちてくるようにしなければならないと思いながら授業に取り組む日々-「質問!先生、それだけではわかんないよ。空気中の二酸化炭素で黄色に変化したのかも知れないよ」やっぱり空気だけの反応もやらなければならないと言うのだ。「それじゃ、反応をみるとことにしょうか」「うん、やっぺ、やっぺ」と威勢がいい。生徒たちの大きな期待感がひしひしと感じられる。BTBに新鮮な空気が吹き込まれる。真剣なまなざし。一時しんと静まり返った。こんな時、実に積極的に発見に取り組んでいる。そして自分を忘れている。BTBはわずかに緑色を呈しただけであった。黄色くなったのは空気中のそれではなく葉から出たものだとわかってくれた。

頭の中で描いた予想と実験結果の一致、それは大きく発見への喜びとなって生徒たちの心に広がり、ひいては学習への自信となり得ることだろう。そして「質問!」と言ってくれた積極性こそこの土地に生れ育った生徒たちに必要ではなかったのかと再認識した。

実験や観察によって生きていることの素晴らしさをわかってくれた生徒たち。一つわかれば一つの楽しさが生まれ自信となる。それが積極性を培う一つのかけ橋になっていると思う。今、考えてみると「わかる授業」など、何回してきたことだろうか。

山々の緑を背景に、色さした秋あかねが飛びかい、赤い屋根の下では、今二学期への本番を迎えようとしている。豊かな人間形成をめざして生徒たちの積極性をのばすために、私自身、一進一退の日々をたどりながらも「わかる」ことへの授業を実践追究して行かなければならないと思うのである。

(舘岩村立舘岩中学校教諭)

 

TPづくり

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