教育福島0057号(1980年(S55)12月)-005page

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巻頭言

 

一つの提言

塚原進

 

める点からもっと有意義なものに見なおす時期にきているのではないだろうか。

 

高校進学率の向上のため高校増設を計画してきたが、当初予想した問題とは別の問題も起こってきた。中退者の増加である。進学率は高まったとしても、卒業者数が減ったのでは教育の目的を達したとはいえない。したがって高校増設の目的を進学率を高める点からもっと有意義なものに見なおす時期にきているのではないだろうか。

福島県が全国に比べて低位にあるものは他にもある。東北という地域性と歴史的なつながりのためにやむを得ないものもあるが、努力次第ではというようなものも少なくない。たとえば国体の総合得点の順位がそうである。毎年福島県より下位の県の少ないことに驚いている。もちろんスポーツ種目の中に優勝や上位入賞が無いわけではないのだが全体としての得点が少ない。このことは問題ではないが、いざ国体が開かれることになると、とたんに面目にかけてというわけで、有名選手を国体用に県内に移籍させる。国体が終われば御用済みで再びもとの状態にもどるというのが特に得点下位の県に見られる。この国体の得点順位がスポーツだけでなくその県の民度というか文化程度というか、何かそのようなものを現す数字のように思われる。

スポーツの名門校といわれる高校が全国に数多くある。福島県にもいくつかある。そのような名門校でなくてもよいから、スポーツに重点をおいた公立高校をつくることを考えてよいのではないか。

もちろん完備した設備は一校では持ちきれないので二、三校とし、あまり重複させない。ある地区では武道場、また他の地区では温水プールといったように、基本的な設備のほかはそれぞれの学校に特色を持たせる。全生徒はいずれかのスポーツの部に入り、できたら全寮制として、学区と関係なしに入学させる。このような設備はまた体育の教師の再教育の場としても利用できるであろうし、またスポーツのセンターとしても機能するであろう。

野球の設備だけははぶきたい。野球は、特に県が力を入れなくてもすでに盛んになっている。このことが他のスポーツに対する関心に負に働いていることは否定できないし、野球だけが盛んであることは好ましいとはいえないからである。

スポーツの教育的効果については論をまたない。このような高校の卒業生が一般の人たちに混り、多くの人たちが多種のスポーツを楽しむようになるために十五年はかからないだろう。

人は経済的に安定すると余暇のためのものを求めるようになる。その主なものがスポーツである。人が最も強く求めているものは健康と長寿である。そして、そのためにスポーツが最も有効であることも知っている。しかしスポーツのための基本とルールについてはよく知っていない。そのための教育がいま最も必要なのではないか。

(つかはらすすむ 県立医大教授)

 

 

 


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