教育福島0057号(1980年(S55)12月)-028page

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随想

雑感

江川守弥

 

<若者に夢を>

 

<若者に夢を>

百人の生徒を学力テストで評価すれば、一番から百番までの序列はつく。しかし序列のドン尻でも清らかな真面目な気持ちで生きていく強い意欲を持たせたい。父母の愛と自然の加護により、この世に生まれたことがすでに何億倍の競争率に勝った証拠なのだ。エリートとしてこの世に生を受けたのだ。職業は何を選んでもよい。親子の信頼と心友関係を大切にして自信を持たせ、生命を大切にせよと教え、世界の社会人として公徳心をよく守らせ若者をのびのびと生かしてやりたい。創造力や情熱や勇猛心を持っている若者を信頼し、若者に託したい。心が空で外見だけに気をとられて生きては哀れだ。反対に立派に生きている若者も多い。今年成人式に臨み若者の集団と接触してこのように感じた。

<さわやか>

今夏の甲子園大会で実にさわやかだったのは西東京代表の都立国立高校であった。全国屈指の進学校でありながらよくも知徳体の三位一体、教育の理想を具現し強剛相手に堂々たる好試合を演じた態度に、よくやったと心の中で嬉し泣きした人は全国で多かった。本当にすがすがしい一コマであった。

<酔いかた>

次に考えさせられたこと。先日タクシーに乗ったときの運転手氏のお話。意外に思うことの中で、宴会後泥酔された学校の先生を乗せて家まで送るとき、昔教壇に立たれた尊敬した先生のこれが酒に酔った姿かなとわが目を疑いたくなるような時がありますと。もっともこの運転手さんは私が教育に関係していることも知らない年齢三十歳ぐらいの真面目そうな青年であった。酒量が程度を越せば酔うに決っているわけだが、酔いかたにいろいろタイプがあるので、先生となれば教養を要求されるところであろう。他人のことのようには思われなく聞いたものだ。

<すがすがしいもの>

東京の国電の中の出来事。混んでいる電車に一人の老婦人が乗り込んできた。もちろん、空いている席は一つもない。老人もこの混み具合をみて、そっと人混みの中に立っていた。ところが、この老人をみつけた二十五歳ぐらいの女の人が、すぐに立ち上がって、「どうぞ」と自分の席をその老人に譲ってあげたのです。老人は「ありがとうございます」と礼をいって、その席にかけた様子。すると、隣の席にかけていた中年の男性が、いきなり立ち上って、いま席を譲ったばかりの女性に向かって「私は男ですから、立っても平気です。どうぞおかけ下さい」と自分の席を譲った。若い女性は最初遠慮していたが、男性の強いすすめで、お礼をのべ席にかけた。

このやりとりを見ていた満員電車の乗客は、自分がかけさせてもらったようなすがすがしいものを感じ、温かい空気が、混雑でイライラしている客の中に広がった。温かい思いやりがどんなに人の心をなごませてくれるものかと思い知った次第。私たちが、言葉を発するとなんらかの波紋を引き起こすが、好ましいものにしたいと思う。言葉は影も形もないものであるが、人の口から出るときには、温かみや冷たさを感じさせるものである。

<必要なこと>

車中での経験。棚から荷物が落ち、としよりのヒザに当たり、思わぬ他人の荷物の打撃で一層痛みと不快を感じたようで、荷物の持ち主の謝罪の言葉を当然期待し、持ち主は誰かとあたりをみている様子。やがて、三十歳位の週刊誌を読んでいた持ち主の青年が、すみませんでしたの一言もなく荷物のおきかたには落度がなかったような素振りで、再び無造作に落ちた荷物を棚に乗せると週刊誌にすぐ目をやり始めた。よほど痛かったものとみえ、ヒザに何度も手をあてなでていたが、ついに謝罪の言葉は出なかった。

中年の男性の目には、はっきりと無礼に対する憤りが、感じられたようだが無礼を責める言葉は発せられなかった。いかに週刊誌に夢中とはいえ、荷物が落ち、痛いと叫び、ヒザを何度もなでていることに気がつかないはずはない。なぜ一言謝らなかったのかと思われた。汽車は混んでいなかったがいやな空気がしばらくただよった。必要なときに、必要なことを必要なだけ、そして必要な方法で、いわなければならない必要の原則を感じた。

(会津坂下町教育委員会委員)

 

 

 


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