教育福島0057号(1980年(S55)12月)-047page

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県指定史跡 龍ケ塚古墳

 

須賀川駅の西南約十一キロメートル余阿武隈川に注ぐ広戸川北岸の河岸段丘の上の水田地帯にある前方後円墳である。現在の墳丘は東西を指す主軸約三十六メートル、前方部径十七メートル、後円部径十四メートル、高さ後円部四・五メートル、前方部約四メートルで、前方部の塚上に淡島神の石祠がある。墳形は裾部が開田により削りとられ、封土も変形しているが、龍ケ塚の名称が生じた龍神影向伝説や淡島信仰から古墳として保護されてきている。

明治初年製作の字限図によると、墳丘の四周水田は明瞭に環濠の存在を示し、周堤の畦道がめぐらされ、この形態は近年まで保存されていたが、昭和五十二年農業基盤整備工事により一部改変されて現況になり、古墳としての価値が減滅された。しかし工事前に周濠調査が実施され、その結果築造当初の形態が明らかにされた。それによると、墳丘の形態は前方部が開いた帆立貝式で、中軸線四十九メートル、前方部前縁三十七メートル、後円部径二十三メートル、環濠縁の周堤は東西約八十メートル、南北約六十メートルを示す六世紀中葉の標式的な前方後円墳である。

周濠は浅く湛水した形跡はなく、土師器・須恵器片が出土したが、これは本古墳築成当時を示すものではない。なお本古墳の西方約二百メートルにある布目瓦を出す高床式建築遺構や住居跡がある「こくぞう遺跡」や、「丈部私印」を出した遺跡が近くにあるなど、この地方が古代における岩瀬郡の重要な地帯であることを示し、龍ケ塚古墳の存在意義は大きい。

 

所在地 天栄村大字下松本字原畑七八

所有者 天栄村

地域 竜ケ塚三○−一ほか 千七百四十九平方メートル

あとがき

 

あとがき

目の大きいきかん坊の顔、笑っているあどけない顔……見ていると心がなごむ。

 

○ 檜原小学校の玄関を入ると、ニスの光沢も艶やかな衝立てが目に入る。よく見ると、両面に児童の顔が彫られている。力強い直線、表情豊かな曲線、まっすぐにのびた素直な線、眉の太い男らしい顔、目の大きいきかん坊の顔、笑っているあどけない顔……見ていると心がなごむ。

 

○ 「昨年の卒業生七十二名の作品なんです。これを見ていると、一人一人の子供たちとの生活がよみがえってくるのです。みんないい子でした」とは渡邊豊一校長さん。

 

○ 手造りの創意工夫が、確かにここに息づいている。指導された先生のほんものの鼓動が聞こえてくるようだ。

 

○ そして彼らは、何年か後に、まさしく自分たちの存在と足跡を発見するに違いない。(ひ)

 

 

 


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