教育福島0058号(1981年(S56)01月)-027page

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生徒会役員の交流風景

 

生徒会役員の交流風景

 

(二) 間接的には、映画教室や肢体不自由児の作品展示会を実施した。

(三) 道徳、特別活動、各教科の指導では、それぞれの本質的な指導をしながら、研究のねらいとの関連において、指導を強めるべきところにも配慮してきた。

20) 生徒指導では、各月各週の努力事項を徹底させるために、組織的に取り組んできた。

(五) 生徒会の組織を生かして、数々のボランティア活動を実施してきた。

(六)機会をとらえて、地域社会への啓蒙活動をしてきた。

(七) 健常児や障害児の意識調査を行い実態把握とその理解に努めてきた。

三 実践と考察

教育過程を特に組み直すことなく、現実の諸条件の中で、心身障害児の理解と認識を深めようとして、全教師が一丸となって取り組んできたが、実践上、特に苦慮したことや生徒の変容及び生徒の声等を中心に述べてみたい。

(一) 教科指導では、一人一人が認め合い支え合うという学習訓練に力を入れて実践を積み重ねてきた結果、すぐれた意見や発表に対して、自然と拍手がでてくるし、逆に、変な発表があったとしても、あざ笑うということは全然ないといえる。

(二) 道徳や特別活動の授業では、研究テーマに関わる内容を、指導過程のどの場面に、どのように位置づけるかが最もむずかしいところであり、討議に時間を要したところであった。いずれにしても、新鮮な資料が必要であったし、資料や説話等を通して、それぞれ効果をあげてきた。

(三) 生徒会役員や学級代表の生徒が、延べ七回、養護学校を訪問し、話し合いや見学を通して感動し、教えられたことが、たくさんあった。生徒の生の声や感想作文の中から、いくつかとりあげると「私の一番印象に残っていることは、みんな底抜けに明るいということです……」(F男、2年生)

「まず、第一番目に感じたことは、みんなが生き生きしていることだ……」(N男、二年生)「机の上にタイプライターを置いて授業に取り組んでいる女の子もいた、足に鉄のギプスをしている生徒が、たくさんいた。それでもみんな明るかった」(O男、三年生)「授業が終わると反省会であった。口の不自由な当番が司会をやる。何をいっているのか、よく聞きとれない。でもみんないっしょうけんめい聞くし、司会もけんめいにしゃべる」(G子、三年生)「体が不自由だからといって先生に何もかも世話をしてもらう人など一人もいません。みんな自分の力でやっているのです」(K子、二年生)

以上は訪問しての感想文の一部分であるが、養護学校の生徒の明るさ、真剣さ、粘り強さ、生き生きしている姿や協力し合っている姿に、そのすばらしさを発見し、自分たちの日常生活を反省させられたのである。回を重ねるごとにその感動は強くなるのであり、自分たちの学級の諸問題の見直しや解決に大きな影響を及ぼしている。

(四) 養護学校の生徒の学校生活のようすや学習の一端を理解させるねらいで学校行事等の写真や絵画、習字、工作手芸、詩集等をお借りして作品展示会を催した。作品は、生徒会の積極的な活動により、整然と配置され、すばらしい展示会場を作りあげた。また一般生徒への参加呼びかけを自主的に意欲的に行っていた。参観した生徒の声には「一つ一つの作品に、心がこもっていて、とてもすばらしい」「展示会を見ることができて、本当によかった」「詩集では訴える力というものが底から湧きでてくるようだ」「一つ一つの詩が、ジーンと心にせまってくるようだ」等があり、感嘆の声を耳にすることが多かった。

(五) 「ぼくらもみんなできるんだ」「ねむの木の詩」という題の映画を二回に分けて鑑賞させた。身体的にハンデを背負った同年代の子供たちが、力いっぱい努力し、可能な範囲で自分のことは自分でやっていこう、としている姿に、素直に感動していた。「私は、体の不自由な人たちを可哀いそうと思うより同じ仲間として見たい。同じ人間なんだから、困っている時はおたがいさまだ……」(I子、一年生)という感想をのべている。「五体満足でよかった」ということから「自分に何ができるか」という意職への変化がみられ、友人の短所よりも長所を見いだすことや、お互いの違いの理解ではなく、同じことへの理解が得られるようになってきた。(付記、十一月二十日の研究発表会の際は、熱心な先生の参加を得て大変盛況であった。)

 

すばらしい作品展示会

 

すばらしい作品展示会

 

 

 


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