教育福島0058号(1981年(S56)01月)-029page

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随想

 

十一年目の痛感

 

東条正記

 

業を改善してみようと思いたち、十分な教材研究をして、実践した日であった。

 

「きょうの英語の授業はおもしろかった…」ある日の班ノートの一行である。それはちょうど自分の授業を改善してみようと思いたち、十分な教材研究をして、実践した日であった。

私としては、改善という言葉とは大変ほど遠い、まだまだ工夫の余地のある授業であったと反省していた。ところが生徒は班ノートに私の授業について一言、そう書いたのでした。その日の授業で、特におもしろおかしく生徒たちを笑わせたわけでもなかったのに、その生徒は、私の授業をそのように評価したのである。それを見た時、私はほんの一握りの嬉しさを感じるとともに、次時への意欲が湧いてきた。

以前、自分の授業を反省してみた時、生徒たちの活動場面が、一単位時間の中で、非常に少ないことに気がついた。

それにもかかわらず、工夫の行きづまりを感じ、そのままの状態が続いていた。そこでその日は、英語の授業では、私にとって参観したことも、実践したこともないグループ学習を、大々的に取り入れ、班での音読練習とその発表、更に本文の内容について質問文を作らせ、生徒同士の問答をさせてみた。すると、生徒たちの質問文には数多くの間違いが続出してきた。

しかし、そこをグッとこらえて訂正せず、そのまま対話させていると、ある生徒が「なにを言っているのかわからないなあ」「ちょっとおかしいじゃないか」などと、班の中でささやき始め、英文のミスを指摘しようとした。

それは、今までになかった生徒の姿であった。また、班対抗の形を取ってやると、負けじとばかり班で声を大きくし、音読練習や対話の練習をしたり、英文での問いを数多く作ろうと準備に取りかかったりした。そのような活動の中に、学習につまずきのある生徒が、自然と生徒同志によって教えられたりしている光景が見られた。その一つに、ほとんど英文の読めない生徒が、英文にカタカナで読みがなをつけ、たどたどしくも全体の前で読んだのであった。その姿は、今までの間違いに対する不安のベールを脱いだ生徒の本当の姿であった。

それらの生徒の姿は、自分の指導への痛烈な批判であるような気がした。

その日の授業は、予定の指導内容の半分にも満たなかったが、今後の授業改善への明るい材料を見つけた点では、意義があったように思う。

今まで、数多くの授業研究をしてきたが、それはいつも教師側に立っての研究であったように思えてならない。

つまり「いかに上手に教えるか」ということばかりにとらわれ、そこには教師と教材しか存在していなかったのではなかろうか、そのために生徒たちは、私の教え込もうとする意欲に負けただただオウムのように英文を読んだり、聞いたり、書いたりしてきたような気がする。そのために生徒たちは自ら、能動的に活動することをやめ、知識は求めるものでなく、与えられるものと思うようになってきたのではなかろうか。

私は、生徒たちが次になにを求めているかということと、教師側が次になにを教えるかということの間に大きなギャップが存在しているように思う。

今更ながら、新任当時の研修会で教えられた、「教科書を」でなく「教科書で」教えるという言葉の意味の深さを痛感せざるを得ない。今の私にとって、そのギャップをなくすための方法はわからない。しかし、自分の指導法に安住することなく、絶えずそれを求めて行かねばならないと思う昨今である。

(矢吹町立矢吹中学校教諭)

 

やる気のある授業

 

やる気のある授業

 

 

 


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