教育福島0059号(1981年(S56)02月)-071page

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国際障害者年 1981

こぼればなし

 

こぼればなし

郡山盲・聾学校長を最後に一線を退いた海野昇雄氏は、研究に余念のない生活をおくられている学識者である。昨年氏の手を経て「教育福島」十月号が、中国の旧友郭人奇民におくられた。「教育福島」十月号といえば、巻頭言は佐久間敏氏にお願いした[身勝手」である。

このほど、郭民からの返事が海野氏に寄せられたが、その中で郭民は、巻頭言に関し、「………文章の主題によって、非常に普遍的な意義をもつ『道徳観』を提起しています。非常に大なる啓発を与え、非常に大なる教育を感じます。この文章は、微塵も『説教』はなくて、かえって教育の目的を達しています。この文章から佐久間敏先生の人柄がうかがえます。私は今、この文章を伝新に勉強させ、自分の力で訳させています。(海野氏訳)」と述べている。息子の伝新氏に訳させているとは、恐れ入ったことだが、「教育福島」が海を渡ったといったら大げさで手前味噌になるだろうか。

海野氏は、日本と中国の文化交流のパイオニアであった鑑真和上に関する、唐大和上東征伝」の現代語訳を郭氏との二人三脚で完成させたが、今春四月、「鑑真和上を慕う会友好訪華団」として、中国を訪れ、郭氏とも再会の予定であるという。因みにこの訪華國は、団長に佐久間敏氏、秘書長海野昇雄氏。三本杉國雄氏も参加すると聞く。三本杉氏は、会津短大学長であるが、「教育福島」が現在のスタイルになった当時の県教育長。とくれば、なにか「教育福島」が因縁めいてくる。諸氏の訪華中、[教育福島」ならぬ教育県福島の話題をも期待したいところである。

ともあれ、豊かな実りある訪華をと願う。

 

あとがき

あとがき

 

○ 今年度は、思わぬところで大雪に見舞われた。自然には逆えないとはいいながら、なんともやりきれない気持ち、というのが本音であろう。

 

○ といって、嘆息から発展は生まれてこない。「雪は鵝毛に似て飛んで散乱し人は鶴◆を被て立って律徊す」ということもあるではないか。もっと前を直視してと思う。

 

〇 三月は卒業のとき。文字通り、螢雪の功なって、多くの児童生徒が巣立つ。豊かな未来を………。

 

○ 雪で思い出されるのが、幼い日の雪ダルマつくり。掌の小さな玉がやがて、大きな雪ダルマに変わっていく。

 

○ 児童生徒の夢も、八○年代スタートの年を迎えく雪ダルマ式に、大きくふくらませてやりたいものである。(ひ)

 

 

 


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