教育福島0060号(1981年(S56)04月)-007page

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間形成にさまざまな影響と問題を与えている事実を認めなければなりません。

また、個々の家庭についてみても、その大半はいわゆる核家族世帯で、子供の数はその六〇パーセント強が二人以下となっています。この傾向は家事労働の軽減等により親の子に対する過保護傾向が強まり、例えば「自分の子供に役目として家事をさせている」という親は米国が九〇パーセントを超えているのに対し、日本では五〇パーセントを割っています。弟や妹の世話、親の代理としての使い、などについても日本は低く、米国との間に大きな差がみられるのです。役割と体験という基本的な問題が含まれていることに気付くのです。

学校は知識と技能を授けます。その技能と知識は時代とともに限りなく発展してやむことがありません。そういう事態の具体的な姿が教育であり研究ということなのでしょう。

一つの社会がそれによって生きがいを見出し、感ずることができるようなものをつくり出してゆく大きな活動の現れであると思うのです。

教育は人間の創造活動の一端であることから、いろいろな問題がおきてきます。試行錯誤も、いらだたしさも、あいまいさも、困難さも、存在するのは当然ということになるのでしょう。

ひとびとは自らの才能の二〇パーセントぐらいを使うだけで、八○パーセントは使わずに生涯を終わってゆくものであるといわれています。

人間のうちなるものを発見し、それをひきだして導いてゆく、教育の偉大さの根元はここにあると思っています。

 

おもいやれば目にあらわれて清きかな

わがふるさとのあだたらのやま

 

 

 

 


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