教育福島0060号(1981年(S56)04月)-023page

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随想

 

小さな大切なこと

石川トキ

 

びのときや、補欠に出たりすることが、子供たちとの触れ合いの場である。

 

私は、「保育の中の小さな大切なこと」ということばが好きでよく引用する。そして、このことばの意味を十分保育に生かしたいものだと思っている。毎日の保育に直接たずさわっていなくとも、学級のわくをこえた「みんなの先生」という立場から、自由遊びのときや、補欠に出たりすることが、子供たちとの触れ合いの場である。

 

○月○日

 

風の吹き荒れた翌日だったと思う。園庭の吹きだまりのごみ拾いをしていたら、「石川先生お電話で一す」の声が聞えてきた。私はごみ拾いを終わりかけていたので、また戻るのもめんどうと思い、ごみを入れたバケツや、バケツに入らないものなどをかかえようとしていたら、一緒にごみ拾いをしていたY子が、すかさず「せんせ、早ぐいきな、私ごみもっていくがら」というので、「あら、どうもありがとう」と早口にいって私は電話のある職員室にかけていった。Y子はごみを所定のところへ運んでくれていた。

 

○月○日

 

M組の補欠に出たとき、手ふきかけスタンドの開脚の一部のねじがどこかへ落ちてガタガタしているのが目についた。とりあえずひもでしばって固定するつもりでいじっていると、A男が寄ってきて、「せんせい、僕のうちにこれに合うねじがあっかどうか調べてくっから、ねじかして」といって、ねじを一本持ち帰った。そして、翌朝登園するなり「合うねじあったがらもってきたよ」といって、前日から入れておいたのだろう、ポケットから出してくれた。

A男の家人の話だと、幼稚園から帰ってくるなり、物置に入ってごそごそやっていたとか。真剣にねじを探していた顔が浮かぶようである。

小さいながら、教師の意図をしっかりくみとり、場に処した適切な判断をし、思いやりのある積極的な行動など、自己を十分表出した自発活動に、私はすっかり感動した。五歳の幼児がこれだけの機転と、分別のある行動がとれるということは、豊かな心を育ててきた家庭が根底にあることは確かであろうが、幼児の小さな行動を適切にとらえ、十分応えてやること、認めてやることが子供を生かす大切なことである。果たして私は、子供たちに満足のいく対応をしてやったかどうか反省さぜられることが多い。

 

○月○日

 

小学校三年生になったK子から私あての手紙がきた。大田幼稚園にいたときの子供である。かわいい小さな封筒から、Y子の胸の鼓動がそのままったわっているような気がして、そっと手紙を取り出すと、「この前、先生と、ス−パ−で会ってとってもうれしかった」という内容が中心で、あとは、二年生でかん字を百以上も習ったこと、今度は三年生だからもっとがんばるというようなことが、しっかりした文字で書かれていた。

このK子にしても、しばらくぶりで偶然私と出会い、二言三言声をかけて通りすぎた担任外であった私に対し、私の「なに」を心に受けとめていてくれたのだろう。

数学の苦手だった私だが、幼稚園の教育は数学であるような気がしてならない。デタラメをやっていたら、正確な答は出てこないにきまっている。

保育の中の小さな大切なことを見逃さないで一人一人を生かす保育に徹した指導を更に深めていきたいものである。

(保原町立保原幼稚園主任教諭)

 

かわいいナァー

かわいいナァー

 

 

 

 


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