教育福島0060号(1981年(S56)04月)-024page
随想
M子先生よろしく
斎藤正逸
雪国の春、それは雪解けとともに急に忙しくなってくる。奥深い山あいの町にも春が訪れ、育苗用の土を入れた木箱を持った母親が、せっせと育苗小屋を出入りしている。
M子は、特殊学級で学習する児童であるが、親学級として私が担任し、学級活動はすべて親学級で、他の多くの児童と一緒に実践している。
今日は、M子の家庭訪問日である。無口でほとんど話すことのないM子への家庭訪問であり、いろいろと策を思いめぐらし、車からすぐには降りずに残雪の中の家並みを眺めていた。
M子は、母親の後ろについて、さかんに話しかけているようである。学校での様子とは異なって、かなり活発になるらしい。
「よお、M子さんよくやってるな」
「先生、学校で折り紙などやるんですか」といきなり母親の声である。
私の学校では、四F活動といって、四つのF(FULL)、花・絵・歌・力の四つで学校いっぱいにしょうという活動を継続実践している。児童は、なにか特技を持っているものである。歌がだめなら花づくり、花がだめなら絵をかくことで、それがだめならスポーツでというように、四分野のどれかで児童を活躍させようとするのがねらいである。
M子は、花係に所属していた。M子の家には、母親がつくったらしい大小ざまざまの薬玉が飾られていた、M子は、その薬玉のつくり方を教えてもらおうと頼んでいたのである。
「是非教えてほしい」「M子さん、よく習って、学校のみんなに教えてやってよ」かなり以前にしまい込んだのだろう、母親は背伸びして棚の上の折り紙を手さぐりで捜していた。M子はだまって立ちあがり、台所の方から椅子を持ってきた。「M子さんは、ほんとうによく気がつくね」M子は、ちょっと恥ずかしそうに微笑した。三人は折り紙細工に熱中した。母親の方も度忘れしたらしく、ああか、こうかと完成品を見ては話し合った。M子はいつになく晴れやかな顔であった。母親に教えてもらっている先生の姿が滑稽に見えたのか、母親の姿が頼もしく見えたのか、とにかく終始にこにこしていた。
こんなことで家庭訪問が、折り紙勉強会に転じてしまったものの、私の収穫は大きかった。
翌日のことである。私は少し多めに折り紙を持ち教室に入った。教室はいつもと変わりなかった。去年の十二月学級お楽しみ会で教室の飾りつけをし薬玉ができなくて苦労したことから、M子の話をした。「みんなで教えてもらおう」全員が賛同、さっそくM子を先生に折り紙細工講習会が開かれた。M子は今までになく上手に説明した。
私も補助を務め、完成をめざして努力した。M子が学校のみんなの前に立って、こうして教えることができたのは、この折り紙細工ひとつだけではなかったろうか。
「M子さん、どこで教えてもらったの」「M子さんって意外なことが知ってんのね」「M子さんもっといろんなの知っている?」学級のみんなは、思い思いの言葉をM子にあびせていた。
朝の活動は二十五分で終わりてしまったが、今朝のM子は学級のリーダーであった。
いつもは、あまり近づいてくれないM子だったが、その日から机のまわりに来ては、にっこり微笑してくれる。
「先生、また折り紙やるの?」M子は小声で話しかけてきた。「M子先生そのときはたのむよ」小学校最後の年を迎えたM子の返事は微笑であった。
(只見町立只見小学校教諭)
明日はみんなに教えてやるんだ