教育福島0061号(1981年(S56)06月)-022page
随想
未来に生きる経験
大岡二良
卒業生を担任し、卒業制作や卒業準備などで多忙な毎日を過ごしていた三月の中ごろ、一通の封書が届いた。差出人は、なんと二十年前の初めての赴任校での教え子であった。
手紙には、登山で霧にまかれたことやきのこ採りの楽しさ、合唱指導への感謝の気持ち等がつづられ、これらの経験が現在の自分の生活に励ましを与えていることなどが表現されていた。私は二十年前の新任教師に戻ったような懐しさを覚えた。
ふり返ってみると、知らない土地で夢中で過ごした記憶が浮かび上がり、あのころ、若さと情熱を持って子供たちに接したことが、時がたって意味を持ってくることがあることを知って、あらためて教員であったことをうれしく思う。理科の自然観察と称して山野を歩き、きのこ採りでは、師弟ところをかえ、日曜日には、おにぎりを持って山に登り、夏は川で水泳ぎをし、相撲を取った。
「ふれ合い」が大事だといった特別の意識はなかったが、それらの経験が二十年後、子供たちの心の支えとして大事な意味を持っていたことが、この一通の手紙からわかったのである。
われわれ教師は、だからといって、いつでも無意識の指導に明け暮れていていいわけではない。教師として情熱を持って真剣に取り組める「何か」を見つけなければならないと思う。
私は最初の赴任地から、山村僻地校・農村校を経験し、現在の大規模校でやっと合奏指導にめぐり会った。ここでの経験は、実に厳しいものであった。寝ても覚めても合奏に明け暮れ、毎夜、その日の録音テープを再生しては、次の日の指導個所を見つけ、よい演奏を目ざして児童ともども努力した。
幸いなことに、よき師と、よき助言者に恵まれ、よい音楽に感動する心を子供たちとともに体得することができた。聞きとりにくい弦バス、チェロの調弦、緊張感を持った演奏のさせ方、指導のし方など、音楽教師として数々の貴重な経験を持つことができ、私にとっては大変幸せであったと思う。
合奏指導と同時に、私は理科を担当していたが、そこでも、子供たちと真剣な取り組みをすることができた。
理科の学習は事象観察から始まると考え、事象をまず、子供たちに提示する。そこから、調べたいこと、解決したいことを本時の課題として設定させる。それは時間ごとに教師が指示する課題とちがって問題意識が強く、きわめて積極的な学習活動が展開されるのであった。四十五分の限られた時間内で、これだけのことをやるのは、不可能だと考えたが、手だてさえ十分ならできないことはないということもわかったのである。
こうして、合奏や理科学習に真剣に取り組んだ子供たちも、三月、いろいろな思い出を胸に卒業していった。卒業していく彼等の後ろ姿を見ながら、二十年後、この子たちは今まで経験してきたことを、どのようにふり返るだろうか、ふとそんなことを考えさせられた。これまでの学習経験を是非未来に生かしていってほしいと願わずにいられない。
本年度は三年生を担任している。高学年ばかり受け持ってきた私にとって三年生は実にかわいい。作文に「遊んでくれるから先生大好き」という文章があったが、ほんの短い時間子供と遊んでやったことが、こんなに喜んでもらえるとは思いもかけぬことだった。
今年はこの子供たちとのふれ合いを大事にし、学ぶこと、働くことの意義を理解させることに真剣に取り組んでいきたいと考えている。 (二本松市立二本松北小学校教諭)
限られた時間を真剣に