教育福島0061号(1981年(S56)06月)-024page
随想
心との接点
渡邊満男
金色ぴかぴかの紋章、耳までとどく、がぶがぶの学帽の新入生、その生き生きとした表情からは、心中の意気盛んさがうかがわれ、歩く足どりもはずんでいる。それが早い者は間もなく、あるいは一か月、二か月と過ぎるころ、月曜日の朝になると頭痛や腹痛を起こすマンディシックネス、登校拒否、内向自閉傾向、学業不適応などもろもろの問題を抱えて心は沈み込んでくる。教科担任、学級担任、部活動指導者などが手を焼き始める時期である。
運動部活動に例をとると、喜び勇んで入部した者が、三日しかたっていないのに退部を申し出てくる。必ず、友人と何人かでくる。こういう生徒の場合は、解決は容易で、少し力をこめて肩をたたき、激励してやれば、納得して帰り、また元気に活動を継続していく。しかし、このような一過性のものでなく、半年、一年と活動を経過した後の迷いは、問題が根深く、一様にはいかない。一般に、スポーツは、日常生活、社会生活の中に生ずる不安や葛藤、ストレスなどを、活動の中で昇華させるような、明朗で、外向的な効果をもつものであるといわれている。果たしてそうであろうか………。
「父上さま母上さま、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。そばで暮しとうございました」と言い遺した円谷幸吉選手の遺族のところへ、最近、一通の手紙が届いた。西ドイツのシュミットという差出人、この人は、陸上競技三段跳の世界第一級の選手で「私も、幸吉さんと同じ苦しみに悩んでいます。墓前にお参りして、花を供えたいと考えています」という意味のものであった。心理学者のテスト結果によると、野球の王選手も、マラソンの瀬古選手も、内向的性格を示したという。
このような国際的な選手ばかりでなく、高校生でも、県大会や、それ以上をも目差すレベルにきている時になって、勉学や進路とのジレンマを訴えてくる。親や周囲の期待に影響された、実力不相応の高望みは、その焦燥感に拍車をかけている。このような場合には訴えを洗いざらい聞いてやることにする。見のがせないのは、切り換えのプログラミングが確立していないことで、ここに援助の手を差し伸べる必要がある。
高校生活において、スポーツ一筋にかける青春は尊い。しかし活動は、大会参加や勝つことのみに固執するのでなく、また、他律的な訓練の場でもない。自分で決めて、自分で実践する道でなければ、長続きしないものである。
ある生徒が、大学受験期になり、平生、運動の好きな方でもないのに、放課後、ひとりでランニングを始めた。「勉強はやるだけやった。他の人に差をつけられて失敗するとしたら、体力だけです」と言って走りだした。そして、大学合格後の夏休みに帰省した際「大学でも、私は、数学などでは都会の連中には引けを取りまぜん。ところが彼らは、オペラを語り、コンサートに行く、ラグビー、歌舞伎を見て、麻雀、テニスをする。我々は田舎育ちなんですね」としみじみ語った。
このような悩みを聞くにつれ、知識や学問に偏重しないで、幅広い体験を通して、文化面や体育面でも、調和のとれた全人的人間像こそ、教育現場にある者の目標であり、ゆとりある人の心との接点を求めて努力することが、我々の使命であると考えさせられる。
野球部選手生活をして、学業も好成績の生徒が、卒業を前に「胡瓜つくりでもいいです。立派な農業後継者になります」と言い切って胸を張った言葉か、印象的で、強く耳の奥に残っている。
(福島県立岩瀬農業高等学校教諭)
心との接点を求めて(語り合い芋煮会)