教育福島0061号(1981年(S56)06月)-025page

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随想

 

このごろ思うこと

 

持地和子

 

出しで「玉川ゆづりは教室」学級生募集のチラシが各戸に配られてきました。

 

「心はずむ四月になりました。ことしも玉川で婦人学級を開設することになりました。楽しい人たちとの交流を……」と、ソフトな書き出しで「玉川ゆづりは教室」学級生募集のチラシが各戸に配られてきました。

内容として、明治から戦後までの庶民のくらしぶりや、風俗などの学習(一時代前の激動の時期、社会はどのように変化したかを、一緒に考えましょう)とあります。多くの人が申し込んでくれると良いけど…。

我が町、玉川に文部省委嘱の婦人学級が開設されたのは、昭和四十五年のことです。「ライフサイクルと、生活設計」という、文部省から与えられた課題についての学習でした。土地の言葉で「木っさし」という全国各地から移住して来た、新興住宅団地の主婦たちは、友達が欲しくて、家族以外の誰かと話したくて、申し込んだと言っていました。

最初のうちこそ、遠慮したり恥ずかしがったり、お互いに「ホンネ」をさぐり合ったりもしましたが、課題学習を消化して、第一回目の終了式を迎えたころには「新しい婦人学級」の基盤は、形づくられようとしていました。玉川婦人学級、玉川ミセス教室、玉川ゆづりは教室と、名称の移り変わりはありましたが、あれからえんえん十二年間、婦人学級の灯は暖かく燃え続け、さわやかな人間関係をひろげつつあるのです。

開設以来学んだことは、生活全般にわたったといっても言い過ぎではありません。政治・経済・健康・文学・教育・人間関係・ボランティアなど、レクリェーションを挿入しながら、楽しい雰囲気の学習が展開されました。

その六百時間を越す学習活動の中で共に学んだ人たちは、何十人を数えるでしょう。ボランティア活動の核になって、奉仕作業に取り組んでいる人、通信教育で資格をとり実社会で活躍している人、消費者運動の推進をしている人、PTA活動や、グループづくりなどしている人たち、みんな学級で身につけ、触発され、実践活動をしている姿は、見事なものだと思います。私自身をふり返って見ても、学習の中から学んだことはモチロン、素晴しい人びととの出逢い、未知の分野への開眼や自覚と責任感の芽生えなど、充実した四十歳代を過ごし得たことは、何と素敵な幸せなことだったろうと思います。

今更言うまでもなく、高齢化社会が訪れようとしています。女性が子育ての義務から解放されて、老齢年金が支給される六十五歳までの期間は、昔とくらべ随分長くなりました(二十五年〜三十年)。この長い期間を、どう生・きるかということが、わたしたちの大きな課題でないでしょうか。

少し大げさ過ぎるかも知れまぜんが自分の人生の幸・不幸は、かかってこの期間を、どんな姿で生きたかにあるように思えるのです。

「時間ができたら学習を…」という態度でなく「日常の暮らしの中に、学習をとり入れる」という、積極的な考え方で、立ち向かう必要があると思うのです。しのび寄る「老化現象」にあらがいながら、必ずやってくるだろう老後の孤独に対応する自覚と解決策を考えなければ…。

たった一度の自分の人生なんだもの母として妻としてだけでなく、社会人として、人間として、いろんなものを吸収し、完全燃焼させながら、自信と情熱を持って、生き抜きたいものと思います。

それにしても、まだまだ適齢婦人たち(三十代後半〜五十代)の社会活動参加は微々たるものです。身近な消費者運動を見ても、この層の婦人たちにひと昔前の一途な情熱の発露が感じられないのは、私のひが目だけでしょうか。高度に発達した物質文明と多様化した中の、個人の選択の自由などは、社会の大きな進歩だと思いますが、家庭内の小さな平和だけをねがって、その中に埋没してしまったり、カネやモノに振りまわされて、学ぶことの醍醐味を忘れ、こころ豊かに生きる目標を見失ってはならない。そんなことをしきりに思うこのごろです。 

 

(元玉川婦人学級委員長)

 

 

 


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