教育福島0061号(1981年(S56)06月)-036page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

「まゆみ文庫」の歩み

 

本宮町読書クラブ連絡会会長

 

本田文子

 

図書館コーナー

 

図書館コーナー

 

人口二万足らずの本宮町で、「母親クラブ」を母体として読書グループができたのは、昭和三十八年の春のことでした。

私たちの読書グループは隣り組同士の主婦十一人、本の好きな人も、読書に関心のない人もいましたが、小・中学生の子供を持つ母親たちにとってはよろこびも悩みも共通のものがありました。そのころ、公民舘の一室に図書室の名札は出ていましたが、蔵書はほとんどなくほこりっぼい部屋という感じで全く魅力のないものでした。また個人の蔵書も少なく、児童図書などはちょっと賛沢に思われる時代でした。県立図書舘の移動図書舘「あづま号」の巡回を知ったのはそのころでした。

「それっ」と早速利用手続きをし、本宮小学校が町内にあることから、校章の「まゆみ」をグループ名にし、利用を始めたのは、ついこの間の様な気がします。自分の好みの本を選ぶというより、会員の誰もが読めるものをということで借り出し、はじめのうちは「眠り薬の代わりに…」と手にした人たちも次第に次の配本を催促するようになりました。

また子供たちの本で迷っている時にあづま号乗務の司書のかたが親切に助言して下さったのがきっかけで、気軽に相談にのってもらえるようになり、大人の読書から子供の読書まで輪が拡がり、借用冊数の半分は児童図書が占めるようになり、子供たちも母親と一緒にあづま号に集まるようになり、小・学生から中学生まで競って読み回しをするようになり、これらがきっかけとなったのか、クラブ活動や学習に追われる中学生も、結構いろんなものを読みこなしているのも、動く図書舘の適切な指導があればこそと感謝しています。

個人の家を転々としていた文庫も、町内会の集会所完成と同時に、そこに定住できるようになり、毎週日曜日の午前中、お母さんたちの輪番制で貸出しが行われるようになり、兄や姉についてきた幼稚園児までも一人前に貸出しカードを作ってもらったり、今まで文庫に来たこともなかった子供が、母親の当番で一緒にきて、借りるようになったりする姿を見ると、いかに読書環境づくりが大切かをつくづく思い知らされたものです。

私たちのこのささやかな活動が導火線となって今では町全体に広まり、家庭文庫や地域文庫など数多く誕生しています。私たちの活動も読書だけにとどまることなく、「親子盆踊り」「いも煮会」「創作教室」(今年はやきもの)等も年中行事となっています。そして文庫を卒業して社会に出た人たちも夏休みや暇を見つけては、私たちの文庫の行事を手伝ってくれることもあります。

こうした姿を見るにつけ、幼い日に知った絵本の楽しさが、その人の読書生活の基盤になるということの大事さが、はっきりわかり、お母さんがたとは自分の子供が文庫を卒業しても、この活動を続けましょうと、子供の本の読書会をもち、今週はチビクロ、サンボ、来週は何にしようかな…と楽しい日々を過しています。

こうしたささやかな文庫活動を行っていた私たちへ、県立図書舘の「親子読書文庫」が一昨年から配本されることになり、私たちの文庫の運営に大きな影響を与えてくれました。選書の仕方、適書の与え方、読みきかせのやり方等配本のたびごとに司書のかたを交じえて指導を受ける機会を得て、今まで疑問に思っていたこと、どうすれば効果があがるのか等について、各地の実情、適切な助言は私たちにとって最も必要なものであり、また自信を持たせてくれています。

また町の教育長さんはじめ、公民舘職員のかたの理解あるご努力により、読書講座の開設や、図書購入の大幅な増額、町としては本県ではじめての本格的な移動図書舘車の巡回奉仕が昨年から実施され、町全体の読書活動が本格化してきたことは町民の一人として喜ばしい限りです。

今後の課題としては、まゆみ文庫の充実は勿論のこと、町全体の文庫のかたがたと手をつなぎ合って、単に本の貸出しだけでなく、子供たちに本のおもしろさを身につけてもらい、豊かな人間形成の手助けとなれるよう、会員相互の学習と実践活動を積み重ねて行きたいと考えています。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。