教育福島0062号(1981年(S56)07月)-007page
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関係というものはそんなものである。
ものごころついてからというもの、私の生活は野球一色だった。少年時代の三角ベースの楽しさが高じていつのまにか、グランドが教室になっていた。別段、グランドから、何かを学ぼうと意識していた訳ではなく、ただ野球がやりたい、上手になりたいという単純な動機だけで中学校、高等学校、大学と野球を続けていたのだが、社会に出て、複雑な生活の中で、ともすると、おじけづきそうになる時、直面する難問を野球におきかえ、解決しようとしている自分を感じる時がある。
高校時代に、どちらかというと運動の不得手な同僚がいた。大会が近づくと下級生のレギュラー選手にそれとなく練習を譲っていた彼が、高校最後の夏の大会で代打安打を放ち、塁上ではにかんでいた姿を思い出す。そしてまた、大学野球にもようやく慣れた矢先、投手の宿命みたいなものとは言われながらも、腰痛に見舞われ、初めて野球をやめようと真剣に考えたころのことや、その後の初勝利の喜び…。
神宮での勝利は、大学で野球生活を送っている者にとっての夢でもある。野球など、世の中のごく小さな世界でしかないが、野球を通じて知った友達や、尊い師、体験は、紛れもなく、私の今後の長い人生の教科書となり、くじけそうになる私を鼓舞してくれるにちがいない。
夏の甲子園大会歌は、「ああ、栄冠は君に輝く」である。栄冠は勝者のみの頭上にあるのではないでさまざまな分野で、未知なる自己の可能性を求めて、精一杯生きようとする若人一人一人に栄冠は輝いているのである。
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