教育福島0062号(1981年(S56)07月)-023page
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随想
気にかけたいこと
梅田正
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クラスの女の子が、生活班日誌に次のように記しました。
「今日は、よく晴れていた。それに部活が終わると、西にかたむいた太陽がとてもきれいだった」という表現に強く心がひかれました。
彼女は部活動で、肉体的にはかなり疲労していたと思われるのに、夕陽の美しさに感動した心の余裕と、彼女の心をとらえた自然の力に驚きました。
自然はことばを持っていないが、見る人の心の状態で、人を大きく感動させたり、慰めを与えたりする無言の力を持っているものです。
人間はことばを持ち、これを用いて人を励まし、人を築きあげるのに大きな力となるはずです。
ことばには、それぞれ、意味内容があり、しかもことばには、人を動かす力、動きがあります。ことばは生きていなければなりますん。
「禁止」という語句を見聞きすることが昨今多いが、「禁止」には「さしとめる」「制止力」の意味があるものの、果たしてこの語は人の行為を制止する力となっているでしょうか。
例えば、交通法規には、駐車禁止、追越禁止等の「禁止」の各項がありますが、これらの文字は真に生きているでしょうか。
また、自然や公園、路上などの環境を守るための一方法として、次のような立看板をしばしば見かけます。
「ここはゴミの集荷所ではありません。大量の廃棄物は捨てないでください」
ところがどうでしょうか。この看板のある場所は「大量のごみ」で備え付けのかごがいっぱいにされています。
そのごみを捨てた人は、文字を読めなかった人ではないでしょう。むしろ文字は読めたが、その文字を記した人の心を読みとることができなかったと判断せざるを得ない行為でしょう。
他にもこれらの例に類似したことが数多く見受けられるのではないでしょうか。
自分の利に合わないことばを排除したり、無視しようとする傾向があるように思われます。
しかもそうした風潮が大人の世界だけでなく、子供の世界まで入り込んできているような気がします。
子供たちが、学校生活を送るためには、校則が必要です。その校則には、「……してはいけない」つまり「禁止」の事項がいくつか含まれています。
しかし、この語句も子供たちの生活を観察してみると、彼らの行動の制止力とはならず、生命のない、力のない語となりつつあります。
なぜこのような風潮が起きているのでしょうか。それにはいろいろな原因があると思われます。その一つの原因として、わたしは大人の無意識的な行為が、子供たちへ徐々に悪影響を与えることがあると思います。
例えば、自分の子供に喫煙をさせる親はいないでしょう。
でも、ある肺の専門家は「推定によると、親の喫煙が幼い子供に及ぼす影響は、子供が一日三〜五本のたばこを吸うことに匹敵する」と述べています。
ですから、このことは、たばこを吸う親は間接的に、自分の子供に喫煙を押しつけていることを明らかにしています。子供の心は純白で、とても感受性が強いものです。
もし、「大人ならいいの」ということを子供からたずねられたら、それは無意識のうちにとった行動が、その子供の心に影響を及ぼしていることを、しっかり認識すべきでしょう。
(棚倉町立棚倉中学校教諭)
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