教育福島0062号(1981年(S56)07月)-024page

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随想

 

三年目に思うこと

 

浦井善一

 

しかし、生徒数減少の理由は、こればかりではない、と思うこのごろである。

 

湖南高校西方を流れる菅川の雪しろも、五月の連休にはその水かさも落ちつき、道行く人の笑顔も明るい。私にとって、湖南三度目の春である。入学式に呼名した我が一年B組二十四名の生徒も、高校での生活にも慣れ本来の姿がもどってきたようである。今年度の新入生は四十八名。例年、定員九十名を割るが、過疎化とひのえうまの影響もあって、大幅減であった。しかし、生徒数減少の理由は、こればかりではない、と思うこのごろである。

五月六日のロングホームルーム。高校へ入学しての印象、というテーマの作文を提出させた。その多くには、期待以上の学校であり、三年間がんばりたい旨が書かれていた。その中に「入学前に、いろいろと高校の悪いうわさを耳にした。湖南高生になると、まわりの影響で不良化するとか…このことで、私の友達の中にも『すごい学校だから』などと言って、郡山の高校へ行った人もいます」というような気になる表現があった。本校赴任当初、強く感じたことは、生徒指導なしには教科指導もないといらことである。教員十五名足らずの本校にあって、一人何役もの仕事を、それぞれの先生が精一杯努力している。その成果は、ボート部の、インターハイと国体の三位入賞にも現れた。湖南町の人々も、テレビに映る本校ボート部の姿に、心からの声援を送った。そして、二百余名の全校生も、「努力すればできる」ということに、自信を持ったはずである。しかし、地域の人々の本校への評価は、生徒の作文が、その一面を代弁している。これが、生徒数減少の一要因になっているとしたら、とても残念なことである。これら悪いうわさを払拭するには、生徒指導の徹底が急務であると考えている。

近ごろ、校内暴力、問題行動などの事例がさかんに報道され、各方面から生徒指導の手引が活字となって氾濫している。しかし、現場では、奮闘努力の甲斐もなくというのが実感である。生徒指導には、生徒理解と、教師間の共通理解、同一歩調が大切であるといわれる。このことも、言うは易し、行うは難しの感がある。本校三年目の今、生徒指導は、本校の実態を客観的に認識し、一つ一つ着実な指導をすることと考える。上級生になると免許を取ってハイクで遊び、部活からは疎遠になる。禁止の髪型、制服で、空のカバンをさげて登校する。何割かの自己表現の未熟な生徒。本校父兄の大半は農業を生業としている。裕福とはいえない生活の中で、子供たちの健全な成長を願いながら、高校教育に望みを託している。親の心とこころない生徒の姿を思う時、責任の重さを感ずるこのごろである。

昨年「教育は死なず」という本を読んだ。生徒減に学校の存続も危ぶまれるに至った私立高校の、教育に対する真摯な姿とその成果の記録である。県立の教員という身分に安閑としてはいられない。“基本的生活習慣を身につけ、授業を真剣にうける”ことの実現のために、一つ一つ着実な指導を目ざしたい。初めてクラス担任になり、生徒はかわいいが、甘やかしてはいけないということを改めて感じた。

今年度、生徒指導部で、全職員の同一歩調を図りながら、担任にまかせがちであった「頭髪」の徹底指導を実施した。予想以上の成果があがった。指導困難なことでも、全職員の団結は、良い成果を生むことを実感した。先輩教師の御指導を仰ぎながら「一つ一つを着実に」の姿勢でがんばりたい。このことは、生徒の成長と、ひいては、地域に愛される湖南高校につながると信ずるのである。

(福島県立湖南高等学校教諭)

 

遠足の事前指導

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