教育福島0062号(1981年(S56)07月)-025page

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随想

 

“場”の教え

 

武田吉之助

 

小規模校では、毎年職員室の雰囲気までガラリと変化してしまうものらしい。

 

駒止峠の雪もすっかり解け、本校に勤務して一年と数か月が過ぎた。この四月からは一年の学級担任となり、さまざまの雑務に追われて右往左往している。囲りでは、新しく来られた先生がたが、初々しく動き回っている。小規模校では、毎年職員室の雰囲気までガラリと変化してしまうものらしい。

思えば、何もかもが初めての体験だつた。

着任当時、雪はまだ相当残っていた。簡単な事務整理をしていると、すぐに授業が始まる。教育実習以来の教壇は慚愧の繰り返し。新採用研修では、それぞれの先生がたが、新任としてのさまざまな悩みを抱えていることに接して、肩の荷の降りる思いがした。

南郷の夏はそれと気づかぬうちに過ぎ、夕ベに虫の音の聞かれるようになる。緑、緑の繁茂はしだいに赤らみ、みごとな錦絵を展開してくれる。そのさまにウットリしている間に秋の諸行事は次々と運ばれた。修学旅行、遠足、三十三周年記念式典、文化祭、球技大会など。何とか行事のあい間をぬって授業をしていると、駒止峠には冬の便りがもたらされる。

霜が、氷が、雪が。そうして冬。一晩に五十センチも積もる雪を想像できただろうか。全ての活動は停止する。皆雪の下で春の訪れを息を殺して待っている。雪の降る音がする。スノー・スパイク・チェーンという重装備の車が、時折り危っかしげに通って行く。降り始めてから、すっかり解けきるまで、ほぼ半年間は雪に覆われる。

山の色が赤らんで来るころから白一色に塗りこめられるころにかけては、就職のシーズンとなる。学校は社会の縮図、いろいろの生徒がいた。半年も前から着々と就職の準備をしている者もいた。「先生、作文の書き方を教えてください。明日試験なんです」一番めんくらったのは、このての生徒がずいぶんいたこと。明日でなくとも一週間、二週間はざらである。長い時間をかけた生徒の一人は、最終的には公務員試験に合格したが、自分でも言っていたように作文は苦手のようだった。単に文と文を繋げることすらぎこちなかった。他の先生にも相談しながらいろいろと試みて行くうちに、しだいに考えがまとまるようになった。一体、作文がまとまるということは考えがまとまるということらしい。そのころになると、彼は盛んに「今まで考えてみようとも思わなかったことを考えたりする」とか「将来についての希望がはっきりしてきた」というようなことを言ってのけるようになった。買い被るわけではない。授業態度、その他全てが良くなったなどというのでもない。しかし、目標が明確になり、何より現在の自分の位置、置かれている状況が確認できるようになったのではないか。安易に考えていた作文というものに、目を見張らされる思いがした。

彼の変化ということを思うにつけ、最近、こんなことを考えるようになった。生徒には“場”の力が働くのではないか、と。着任当時、二年生が騒がしかった。一年から三年まで現国、漢文、古文と持っていた。どうも何とも授業の形態すら把握できない。何とか形になったのは二学期になってからだった。その二年が三年になると少々違ってくる。意外に静かなのだ。ところがどうだろう。あんなにおとなしかった一年が二年になってみると、これはまるで去年の二年ではないか。まるで彼らにはそれぞれの役割りがあり、年ごとにそこに納まるかのようでもある。無個性の物体がある。それがA、B、C、という地点を通過するたびに、それぞれの“場”の力を受ける。Aを通過する時にはA′に、Bを通過する時にはB′に、と。物体事態は何の変化もないのに、単に位置が変わっただけで異なった反応をする。ある二年生がこんなことを言っていた。「先生、去年と同じようにやってもだめだよ。俺たちは二年生になったんだから」確かに単に学年が一つ上がっただけというのではなく、内面的成長もあるのだろうが…。昔、教科書に出ていた「であることとすること」(丸山真男氏の文章)が思い出される今日このごろである。

生きた人間と接する教育。短時日で何を言いつくせるものではない。素直に、変化の中に不変を、不変の中に変化を見据えて行きたい。

 

(福島県立南会津高等学校教諭)

 

 

 


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