教育福島0063号(1981年(S56)08月)-028page

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随想

 

たくましく働く子ら

諸橋廼子

 

行力のあるまじめな勉強家で、何を頼んでも確実な仕事をする生徒である。

 

夕方の遅い訪問を気にしながら、もう一度A君の家に寄ってみると、「先生、さっきはすみませんでした」母親がにこにこと、子牛が生まれたことを話してくれた。A君の家には三十頭の乳牛がいる。飼料の準備や搾乳、子牛の世話など朝から晩まで生きものの世話は、文字通り「待ったなし」なのである。その大変な仕事を、父親とA君が受け持っている。母親はA君についてこう語ってくれた。A君は力持ちである。仕事もすぐ父親に追いつけるだろう。何よりも仕事に対して責任感がみられるようになった。勉強もやっているし、中三になったら急に頼もしくなってきた。と、うれしそうであった。A君は学級でも、おとなしいが実行力のあるまじめな勉強家で、何を頼んでも確実な仕事をする生徒である。

「このごろの子供は作業がへただ。勤労意欲が乏しい」などという話を耳にすることがある。なるほど、私の学校の生徒も一般的には、あまり作業が上手とはいえない。除草作業でも、草の根を抜かず根もとからちぎったりする。仕事が遅く、見通しをたてて時間内に処理することなどが、うまくできないようだ。まして自ら仕事を見つけてやれる生徒はいない。

以前、学級で家事手伝い調査をしたことがある。それによると、あまり手伝いをしていないことがわかった。また手伝いをする生徒も、ごく簡単な一部分を、少々受け持っているに過ぎない。まかされた仕事を最後までやりとげるといった機会は非常に少なく、子供にもできる仕事を、親がやってしまう。家庭における子供の労働分担は、非常に軽く、片寄っているのではないだろうか。

「中三になったので勉強をやってもらいたいから、仕事は頼まないことにしました」ある母親が言った。この時期は親の方が遠慮がちで、神経質になっているようだ。「何かさせて下さい。家庭の一員として一つぐらい責任を持たせて下さい」と私は答えた。生活に即した労作業の経験の少ない生徒の動作は、たどたどしく不器用で、てきぱきと自主的に行動できない。除草をしながら、仕事が完了することを、ではなく終わりのベルが早くなってくれることを願っているように見えるのである。ただ作業に馴れていないというだけのことだろうか。働く意欲や目的意識を持たない生徒がいたとしたら

−このままでいいのだろうか。実生活に必要な仕事を体験させることの大切さを、もっともっと真剣に考えなくてはと思っていた時、A君の話を聞いた。本当にうれしかった。それに他にもまだあった。Bさん、C君のことでもある。Bさんは、洗たくと、朝晩の炊事をやる。預かったお金を計画的に使い弁当を作り、家族の好物も忘れずに温かい思いやりをみせている。C君も中一から、朝食の準備、弁当作りをまかされている。農作業もよく手伝う。仕事をしながら、次の仕事や勉強の段取りと時間の配分を考えるという。何でもないようなことだが、生活の中でこういうことこそ大切なのではないかとつくづく思うのである。

家族への思いやりや連帯感、勤労の尊さを知ること、これは決して机上では得られないことである。家庭訪問をしてみて、働く子らがたくさんいることを知った。たくましく生活できる子らを育てるためにも、Bさんの両親の言葉をかみしめ、教師として親として「働く子は大人になります。手伝うように仕向けるのは親の智恵です。今は黙っていても、分かり合うようになりました。しっかり働く後姿を、見せなくてはね」

(須賀川市立仁井田中学校教論)

 

体を使って楽しく

体を使って楽しく

 

 

 


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