教育福島0064号(1981年(S56)09月)-006page

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ひとつの道

 

劇団四季 俳優 光枝明彦

 

劇団四季 俳優 光枝明彦

 

筆者紹介

 

昭和十二年生。俳優座附属俳優養成所七期生で田中邦衛、山本 学氏らと一緒。その後青年座を経て劇団四季へ。「ハムレット」「ジーザス・クライスト・スーパースター」「ヴェローナの恋人たち」「ひばり」「カッコーの巣をこえて」「桜の園」「かもめ」「赤毛のアン」などでの演技が高く評価されるが、なかでも「ジーザス…」(芸術祭最優秀賞・紀伊国屋演劇賞受賞)のピラト、「カッコー…」のチェズウィック、「赤毛の…」のマシュウ、「かもめ」のシャムラーエフ、「ひばり」の大審問官役を見事に演じた。六月二十日福島市公会堂で演じられた「エレファントマン」のロスや

 

劇団四季が全国公演にふみ出してから、十年ほどになります。旅公演の当初は、行くさきざきで「楽団四季」とか四季の花ばなを売り歩く「花屋」に間違えられたりで、随分苦しい思いをしたものです。今年の旅公演は「エレフアントマン」で、五月六日に三島で幕あけした後、七月九日の室蘭で千秋楽になるまで全国四十都市で芝居をしたことになります。この芝居は、グレイ一色の簡素な舞台で、二十一人の登場人物を七人の役者で演じるというもので、国際障害者年ということもありこの奇形人間を扱った作品は、正常な人間として生きている人間に、本当の正常とは何かを問いかけてくるものとして、多くの感動を与えました。今長い旅を終えて、十年前からの時間の流れをふと心のどこかに思います。それは、私自身のこころの経過にも重なりあうものであるからです。

芝居を演ずるということは、ある意味では、観客への問いかけですから、舞台に生命をかける役者は、観客の反応を十分に確かめながら、その役になりきらなければなりまぜん。その観客であるお客様にも、今日では、大きな変わりようがあるようです。かつて「勤労者演劇協議会」といわれ、まことに堅苦しさを与えた名称が、今では「演劇鑑賞会」とか「市民劇場」などと銘うった鑑賞団体に発展し、われわれを応援してくれます。また、観客層も広がり、学生や若い女性などが、作品や劇団を自由に選んで劇場に来てくれるようになりました。このことは、われわれにとっていつの間にかよき時代を迎えたことになりますが、他面、

 

 

 


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