教育福島0064号(1981年(S56)09月)-028page
随想
交換日記
阿部孝男
机の上に一冊のノートがある。M子と私の交換日記である。私がM子の担任となった昨年四月に書き始めて四冊目のノートである。
私の学年では生徒に生活の記録(潮音)を使用させ、生徒理解の面でも重視している。私は反省欄を五行作文と名づけて生徒に自分をみつめる機会を持たせたいと願っているが、実際は「特に書くことはありません」などと拒否的とも受けとれる表現もあり、こちらの期待どおりに生徒は反応してくれなかった。
しかし、毎朝提出される潮音のなかに紙をはってまで書かれているものがあった。M子の潮音である。ある日、潮音には書ききれないので別冊ノート(M子に言わせれば「先生と私の交換日記」)をつくりたいとの提案がありそして一年を経過し、私のクラスを離れた現在もノートによる対話が続いている。この間には「YOUは私の先生でした」といら表現をして二人の間のパイプが中断した時期もあった。
M子は入学当初から身体的、精神的に他の生徒に比べて成長が早く、自分の悩みを話し、理解してもらえる友人をまだ見いだせないでおり、感情の起伏も激しく、言動面でも一貫性がみられない不安定な状態でもあった。
ある日のノートには「ベランダに出ているとここから飛び降りようかなと考えてしまう。私このごろおかしいのです」と書かれていた。これが自殺の予告信号なのかと考えたり、これほどはっきり言葉にだすのでは心配はないだろうと不安な気持ちを否定したり、初めて直面した「死」の問題に戸惑いながらも「そんな悲しいことを言うなよ」と返す言葉が精いっぱいだった。
M子は本当にそう思っていたのかもしれない。あるいは私のM子に対する感情を「死」という極端な言葉で確かめてみたかったのかもしれない。
「もう自殺なんて考えません。私にはやるべきことがたくさんあります」という表現に変わるまでには何回かの相談室での面接やノートの交換が必要だった。現在では「先生は私にアドバイスをしても、私はダメだと思っているのですか。そうなんですね。でも、私はなげやりにはなりません。自分を反省して直してみせます。みていて下さい」と自分をみつめようとするきびしい目、少々の困難は自力で克服していこうとする強さがみられ、いちだんと成長し、安定したM子を感じる。
文章も明るく、楽しい内容が増えて「今度は楽しい話題をどんどんぶっつけます」という言葉どおりになってきている。
ところで、文章を通しての生徒理解というと「ホンネとタテマエ」がよく問題にされる。ホンネを出さず、きれいごとだけの文章を書く生徒がいることも事実である。しかし、私は生徒の書いたものを読む教師側の心もちによってちがった受けとめ方ができると思う。更にタテマエだけ書いてあると感じればそこにはタテマエしか書けないような関係しか存在しないし、ホンネと思われる時にはホンネの書けるような関係が存在しているのだとも思う。
教師と生徒の人間関係が相手を変えていくのであり、M子が変容したとすれば、それはM子と私の人間関係がそうさせたものと思う。
潮音に「特に書くことはありまぜん」と書いてある時は、「生徒にとっては本当に書くことがなかったのだ」「生徒と私の関係はそんな程度である」とその事実を謙虚に受けとめ、これからも生徒との心のパイプを求めて書き続け、はたらきかけていきたいと思う。
(いわき市立小名浜第二中学校教諭)
潮音相談の一こま