教育福島0064号(1981年(S56)09月)-047page

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「和英語林集成」と図書館

 

県立図書館司書

菅野 俊之

 

図書館コーナー

図書館コーナー

 

「広辞苑」の編者としてよく知られている新村出博士の『語源をさぐる』は、実に楽しい本である。例えば「ごまかす」ということばは、江戸時代に胡麻胴乱という名の見かけ倒しのあやしげなお菓子があり、それから胡麻菓子、更に動詞化して「ごまかす」となったのが語源だという話や、九月の古称である「長月」は稲を刈る月の意のイナカリヅキが短縮されて「ナガツキ」となったとする説が紹介されており、ほかに「ちゅうちゆうタコかいな」の由来や安積沼の幻の花ハナカツミについてもふれられていて、一読すれば誰でも一ぱしの語源通になることができる。

さて、職業柄やはり気になるのは図書館ということばに関する章である。この語が使われるようになった時期については、次のように書かれている。

「昨日、書庫にあったヘボンの英和和英対照の安典の再版本を発見した。それは一八八七年、明治二十年の出版であって、無論東京版であった。ちょうど高橋五郎の『いろは辞典』と同様であって、それと相応ずる語が出ている。図書館という語はどちらの辞書にも出ていなかった。新しい言葉としては書籍館とあって、古くヘボンの初版本にあったように書物をおいてあるところ、という説明もついていた。であるから、図書館という名前は、明治二十年の時には少なくともまだ一般化されなかった新造語または新訳語と見なして差支えないわけである」

つまり、新村博士の考証によれば、図書館ということばは明治二十年以降に定着したものだというのである。

ところが……。

ヘボン式ローマ字の発案者として有名な宣教師ヘボンは、三十三年間にわたって日本で布教や施療に尽力するとともに、フェリス女学院や明治学院の基礎を築いて明治期のわが国の文化の発展に多大な功績があり、アメリカで彼が没した同じ日に、明治学院ヘボン館が焼失するという怪談めいたエピソードも残している。また「和英語林集成」というすぐれた和英・英和辞典を編さんした。

新村博士の参照したヘボンの字典というのはこの「和英語林集成」のことであり、明治二十年刊の再版で東京版と記されていることから推して、同年に丸善より出版された縮約版であったと判断される。

ところが、この縮約版の元版である明治十九年刊「和英語林集成」第三版の復刻版を入手して検討してみると、確かに図書館という見出し語はないが図書の項の副出しとして「TOSHOKWAN」とあり、「Public Library」(公共図書館)と説明されているではないか。

思わぬ用例を発見できた喜びにかられて、更に調査してみると明治十三年に東京府書籍館を東京図書館と改めており、「法令全書」を通覧して七月一日付の「今般東京府書籍館ヲ文部省ノ所轄トナシ東京図書館ト改称候条此旨布達候事」という文部省布達を見つけることができた。ただし、当時は図書館を「ずしょかん」と読んでおり、「としょかん」と読むようになったのは書誌学の権威天野敬太郎先生の研究によれば、明治十七年ころからであるという。

したがって「和英語林集成」第三版を引くまでもなく、図書館ということばは明治十年代には既にかなり流布していたと考えてよいのではないだろうか。

 

ところで……。

 

実はもう一つ重要なことを「和英語林集成」は示唆しているのである。この辞典には「文庫」「書籍館」「図書館」の項もあげられているが、いずれも単に「Library」という対訳語を与えられており、「図書館」の項のみが「Prablic Library」の訳語を示されている。つまり、それまで文庫とか、書籍館とか称されていたものが、図書館と呼、ばれるようになったことによって初めて、日本にパブリック・ライブラリー(公共図書館)という概念が成立したのではないか、という仮説をヘボンの辞典は暗示しているように思われる。

そして、その概念の成立したのは、くり返していうならば新村説に反し、明治十年代までさかのぼることができるのではあるまいか。「語源をさぐる」に触発されて意外な疑問にぶつかってしまったが、再考を期したい。

 

 

 


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