教育福島0065号(1981年(S56)10月)-023page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

精神薄弱児の学習のために

 

特集

 

はじめに

 

初めて精神薄弱児と出合い、いざ指導をしょうとして、はたととまどってしまう。たった五〜六人の学級がいろいろな子供たちで編成されていて、どこから見ても一つの集団をなしていないことであろう。能力に差があるだけでなく、三〜四こ学年にわたっていたり、自閉症児がいたり、ひっきりなしにてんかん発作をくりかえす子供がいたりで一向にまとまりがない。それでも最初は、精神薄弱という何か平均的な一般化できる姿があるのではないかと努力してみる。しかし、もとより平均的な姿などないわけであるから徒労に帰する。ぜいぜい、知恵が遅れていてあれもできない、これもできないといった思いにとらわれ、指導の手がかりらしきものが得られない。

この個人差に応じて指導の効果をあげるには、個人指導の徹底ではないかと思いもする。一方で社会性がないから集団活動ができないのだ、だから社会性の伸長のためには集団活動の機会を多くし、切磋琢磨しなければならないとも考える。しかし、個人指導は効率が悪く、意気もあがらないうえ、すきを見て逃げ出す子供も出たりする。また、元々社会性の未発達な子供たちが、思惑通りの集団活動をするはずもない。授業にのぞもうとすると教科書がない。指導書もない。あるのはかなり大味な年間指導計画等で、明日の授業にすぐ活用できるわけでもない。

とりあえず教師と子供一人一人との一対一の関係をつけることが大切であろう。指導をすすめるうえでは、まず教師と児童一人一人がより緊密な関係で結ばれるよう教育活動全般にわたって努力をかさねるべきである。自ら進んで教師に近づいてきたり、人間関係の調整をしたりすることの少ない子供たちであることに留意したい。

 

一 魅力ある学習活動を用意する

 

やってみたいという興味、関心を大切にしたい。最初から興味をひくものでなくても活動をくりかえすうちに強くひきつけられるものも出てこよう。興味、関心をひくということは、とりもなおさず児童生徒の持ついろいろな欲求に応じ、その方向に沿って学習活動、内容を設定するということにもなろう。千葉大学の小出進氏は、その著書「新しい生活単元学習の創造」で児童生徒の基本的欲求として、ア)発達期に諸器官の使用を求める発達欲求 イ)事を首尾よく成し遂げたいという成就欲求や独力で何かをやりとげたいという独立欲求 ウ)人とのかかわりを求める、又は社会的相互性を求める欲求をあげ、教育はこれらの欲求に素直にこたえるように計画されなければならないとしている。

児童生徒の基本的欲求を大事にして指導計画を立案するということは、精神薄弱児の教科学習においても十分考慮されなければならないだろう。精神薄弱児の中には、興味のない学習活動は全身で拒否し飛び出してしまう児童生徒もいるし、強引に引きこみ学習をさせようとしてもなかなか力を発揮しないものである。学習活動が魅力あるものであれば、かなり厳しい条件を付しても参加し能力を発揮するものである。

 

二 学習課題が児童生徒の能力に見合っているように吟味する

 

課題や学習の主題が児童生徒に受け入れられるものであるかどうかをよく吟味したい。学習活動、内容の主題である単元名、題材名が児童生徒にわからなくてよい、ということにはならない。「秋の野山」という単元名がそのままでは精神薄弱児の学習の主題になりにくいならば、更に具体的な小単元を設定し、それに沿った展開を計画するなどの配慮が必要であろう。松山できのこを採取したり、畑の里芋を掘りおこし調理するといったことがらの中で一連の学習が計画され主題が導き出されるのであろう。

自分たちで栽培した里芋を傷つけずに堀りおこし、調理実習を計画、準備し調理するという一連の学習活動をなしとげるためには、精神薄弱児にとって解決しなければならない多くの課題が潜んでいることだろう。 「里芋の調理」という健常者にとっては簡単な日常茶飯事が、精神薄弱児にとっては多

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。