教育福島0065号(1981年(S56)10月)-032page
随想
野放し教育私論
横 田 芙美子
七月、私の住む楢葉町を東西に分断して太平洋に注ぎこむ木戸川と井出川は、鮎解禁となってにぎわう。太公望には胸おどるシーズンであるが、町の子供たちにとっても同じことである。
マンガ「釣キチ三平」の影響でもあるまいが、ここ二、三年釣竿を荷台にくくりつけ、一人前に口笛など吹いて自転車を走らせる子供たちが大へん多くなった。
勤めの帰り、漁(?)を終わって帰る子供たちによく出会う。ハンドルの手元でゆれているフラッシュの中身が気になって車の窓から声をかけてみる。「今日はどうだった」「大漁!大漁!」にっこり笑ってはずんだ声が返ってくる。
のぞいてみると、鮎が一匹とカジイが数匹。ウグイも三、四匹いる。
「すごいね。今晩のおかずできたね」と、一緒に喜んでやると、「天ぷらにするんだ」なお得意満面になる。
これだけの漁をするのに、子供たちはあれこれと餌を吟味し、川の瀬で鮎のつきそうな石を探して丸一日を費やしたに違いない。カジカやウグイは大人にとっては雑魚にすぎないが、子供には鮎と同じ価値の収獲物なのであろう。
テレビッ子といわれ、遊びを知らない子供といわれ、まるで充満したガスが爆発するかのように、子供の自殺、家庭内、校内暴力が発生し、中学生の銀行強盗まで発生しているが、目の前で真黒に陽灼けし、にこにこ笑っている子供を見ていると、つい暗い現実を忘れてしまう。だが、外に向かって飛び出す子供はまだまだ限られている。
依然として、カーテンでおおった窓の中で、インベーダーゲームに興じる子や、部屋の中にこもっている子供が多い。
過日、黒柳徹子著になる「窓ぎわのトットちゃん」が非常におもしろく、ベストセラーになっているというので友人から借りて読んでみた。
主人公「トットちゃん」の好奇心に満ちた性格のユニークさもさることながら、戦前教育の中でこんなにのびのびと、子供を中心とした教育を実践した、「トモエ学園」の小林先生の教育方針に感銘させられた。
散歩をしながら、自然のおおいなる不思議さに関心の目を向けさせ、お百姓さんを先生にして畠作りをしながら虫や気候や土壌の勉強をする。一日のカリキュラムは、自分の好きな学科からはじめて消化すればいいし、運動会にはゴボウやネギや大根が賞品として登場する。そして何よりも一つ一つの行動の中で、最後までがんばりとおす力を養い、協力の心と、ハンデのある友達への思いやりを育てる。先生はいつも子供と同じ目の高さで話を聞き話しをするという教育のあり方に共鳴した。
トイレに落した財布を拾い上げようと、汲み取り口からせっせと中身を汲み出している子供を見て、「終わったらもどしておけよ」と、文句も言わず、手伝いもせず通り過ぎられる大人が何人いるだろうか。
私たちも、小、中学生対象の野外活動などを実施するがどうしても整えすぎてしまう。
事故がなければいい、時間帯が消化できればいいと、号令にそって行動させてしまうのである。
せっかく戸外に出ても、鳥の声を聞きわけたり、草花を観察したり、星空に向かって夢を語り合うなどということがない。団体行動だから仕方がないといえばそれまでだが、何か方法はあるはずである。
夏休みの終わる三日前、チビッ子釣天狗たちに出会うと、つい母親の本性をあらわして、
「夏休みの宿題はできたの」と声をかけてしまった。即座に、
「まだ三日あるよ」という返事。
そう、まだ三日ある。そしてかりに宿題が消化できなかったら、先生からうんとお目玉をもらい、自分自身で反省することを覚えればいい。
現代は、“ほどほどに”という時代だそうだが、徹底して困ったり苦しんだり喜んだりすることも必要ではないかと思う昨今である。
(楢葉町社会教育主事)