教育福島0065号(1981年(S56)10月)-033page
自然の中の子供
(大原小学校滝の原分校)
−県中教育事務所−
真夏だというのに、ひんやりした風がほほをなでる。
今まで汗して歩いてきた体に、このひんやりした空気が心地よい。
木陰に入ると、今まで体中からふき出ていた熱い汗のつぶが、たちまち冷えてくる。遠くまで続く杉の木立ちの中から「ひぐらし」の軽快な合唱が聞こえてくる。
さわやかな風、青い空、新鮮な緑のにおい、ひぐらしの声。このような環境の中に大原小学校滝の平分校があり入道鹿の湯がある。
いつも清らかな流れの小松川、絶えることなく、清く冷たい水が流れ、やまめ、さんしょう魚が生息し、春はかわずの声にさそわれ、夏は、ほたるの宿に足を止める。けがれのない川。
この小松川を中心とし、相対して滝の平分校と入道鹿の湯温泉がある。
この入道鹿の湯温泉について、土地の古老は次のような話をしている。
「昔、滝の平梅平というところに、三人兄弟の猟師が住んでいた。ある日のこと、三人の猟師が山中で大鹿を見つけ、三人力を合わせ、やっとのことで谷あいに追いつめ矢で射ったところ、急所をはずしたものの大けがを負わせたそうな。
大鹿は、やっとの思いで三人の猟師から逃れ、小松川のほとりの水たまりに入って、じっと傷の痛みにたえていたという。
三人の猟師は、傷の痛みを感じさせないほど静かに休んでいる大鹿をやっと見つけたものの、その姿が気高く、あまりの美しさに、二の矢を射ることができなかったそうな。
次の日、三人の猟師が同じ場所に行ってみると、すでな鹿の姿はなくその水たまりからは、ほのかな湯煙りが立っていたという。
多分、一夜の内に傷が治り、元気な姿で仲間のところへ帰ったのだろう。
川の水のように美しく、すべすべしたこのぬくもりの水が、今でも傷によく効く湯として各地に知られ、客の絶えることがない…」
それ以来この温泉は、地元の人はもちろんのこと、県外からも話を聞いて訪れ山間の温泉宿として親しまれている。
湯治客は、分校を右手に見、あるいは左手に見ながら、昔、浜と中通りを結ぶ主要道路であったこの県道を往復している。彼らはちょうど、分校前が休憩所でもあるかのように歩を休め、汗をふき、たばこの煙をたゆらせる。
その目は、分校で学び、遊んでいる子供たちの姿を追い、自分の孫でも見るような優しいまなざしである。
そのまなざしの先には、いつも三十の瞳とそれを支え見守っている四名の職員の、この恵まれた自然の中でのおおらかで、たくましい学校生活がある。
校庭を走りまわる子供たち、大声で合唱する子供たち、辺地の子供とは思えない明るさで、その行動の一つ一つが活気に満ちあふれている。
先祖が鹿を助けたこの優しい心を子供たちは受け継いでいる。
今日も湯治帰りの老夫婦が分校前で立ちどまり、目を細めて子供たちの活動を眺めている。
自然の中の湯治場、そして辺地の分校、そこを流れる小松川。
一幅の絵になりそうな環境が、ここには残っている。
遠くから、ひとしきり「ひぐらし」の声がかん高く聞える。
間もなく、夕立ちでもくるのだろう。
恵まれた自然