教育福島0066号(1981年(S56)11月)-007page

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れ、六年間連続選者をつとめ話題になった。県文学賞審査委員も昭和四十一年からつとめており、審査長として本県文学の隆盛に力をそそいだ。

主な歌集に、「北窓」「布雲」「黄衣抄」「万春」「長謡」「九歌」があり、そのほか著書も多数あるが、なかでも「私の短歌入門」(有斐閣)は歌人仲間では、必読の書であるという。福島市出身。

時のしぐさをする者もあるという。一同爆笑した次第であるが、私たちには全く信じられない現象が、現実に起きている。どうしてこのようになったか、という話になり、結局は戦後の中、高校における国語教育のありかたに問題があるのではないかということになったが、それ以上には進展せずに終わった。

私はかつて、十数年にわたって学校まわりをし、県下中、高校の国語担当の諸先生にお目にかかり、親しくお話をうかがう幾多の機会に恵まれたことがある。談たまたま上記のような表記の乱れに及ぶとき、きまって高校の諸先生は、中学校における国語教育に問題があるとし、また中学校では、小学校の基礎教育がなっていないからだと言う。私はそのたびに、日本の官僚制度に見られる絶妙な責任転嫁の巧みさに思いをいたしたものであるが、今はただ一介の歌詠みとして、自分の門下生にはむろんのこと、講演などの機会あるごとに、「せめて歌よみが、美しい日本語、正しい日本語を後代に伝えるのだという責任を自覚して欲しい」と言い言いして今日に至っている。時として、漱石や茂吉にもかくかくの誤りがあるという声もあるが、先人の誤用を例示して声を大にしても、自らの誤りの免罪符とはならないのである。

私は、今年限りで県文学賞審査員を辞退した。十五年にわたる経験から、いまあらためて中、高校の国語担当の諸先生にお願い申し上げたい。美しい日本語を、そして正しい日本語を後代に伝えるのだという自覚と責任を持って、教壇に立っていただきたい、と。

 

 

 


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