教育福島0066号(1981年(S56)11月)-024page

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随想

 

とまどいながらも六年

星 恵子

土地に対する不安も地域の人々の心の温かさで、しだいに解消されてきました。

 

六年前、私は、旭田小学校に養護教員として赴任しました。まったく初めての土地で、教員生活を送る不安は胸いっぱいに広がりました。でも、それを払しょくしてくれたのが、人なつっこい児童たちと、校長先生をはじめとする諸先生がたの温かいまなざしでした。また、土地に対する不安も地域の人々の心の温かさで、しだいに解消されてきました。

学校は、国鉄会津線楢原駅から車で十分、塩生地区の閑静な場所にあります。この学校・児童を見たとき、「ようし、この子供たちのために精いっぱいやってみよう」と決意を固め、新任養護教員としてのスタートをきりました。

旭田小学校には三つの分校があり、全員で二百二十名の児童が自然の懐に抱かれ、楽しい学校生活を過ごしています。最初は、児童や家庭環境「地域の実態もよくわからないので、とまどいや、あせりの連続で、慌ただしい毎日でした。それに、三つの分校をかかえて、本校と分校の連絡や、保健指導の面で、どのようにやってよいのか悩んだこともたびたびありました。

養護教員の一日の仕事の始まりは、健康観察からです。今日は、欠席した子はいるかな、具合の悪い子はいないかな、と各教室をまわって調べて歩きます。旭田小は、欠席児童やけがの発生がそう多くありまぜん。ただ、朝から「先生、頭が痛い」「腹が痛いの」といって保健室を訪れる児童がたまにまいります。それに、朝会のわずかの時間に貧血によって倒れたり、体育の時間や日常の遊びで、ちょっとしたことでも捻挫や骨折をする児童も見られます。また、「きのう家で手を切った」とか「家でハチに刺された」などといって、家庭に帰ってからのことで治療にくる子、少しの切傷、擦過傷でも、すぐに治療にとんでくる子もいます。

このような場合の処置の仕方など、最初は、どのようにすればよいのか悩んだりもしました。今では、その時々に「朝ごはん食べてきたの」「けさはトイレに行ってきましたか」などと、理由を聞いたり、いろいろ話をしたりして、できるだけ子供たちの生活のようすを聞くようにし、あまり簡単に、手当てだけをすることはしないようにしています。

養護教員として幸せを感じるのは、子供たちから、「先生、きのうけがしてなおしてもらったところ、きょうはだいぶ良くなったよ」と登校して、まつ先に保健室にほがらかな顔を見せてくれることです。そのときの喜びは何とも言えません。

六年間この仕事を続けてきて、今でも心に強く残っているものがあります。まだ、養護教員になりたてのころ一人の児童の足にサッカーのゴールゲートが倒れ、けがをしたときのことです。あわてて病院に連れていったら、幸いにたいしたこともなくすみましたが、子供たちのけがは、いつ、どんな場所で起こるかわからないということを深く自覚させられました。

児童が安全に楽しく生活できるよう養護教員として、環境衛生の維持に努め、学校環境の安全を図るため、巡視活動を適切に行い、観察を強化し、子供らの健全な成長を見守っていきたいと思い、実践活動を続けているこのごろです。

ほんとうに月日のたつのは早いもので、なにもしないうちに六年も過ぎてしまいました。これを機に、児童の実態や地域の特性を生かした保健指導を効果的に進めるため、もう一度、自分自身を見つめなおし、子供たちのために、精いっぱい努めたいと思っています。

 

(下郷町立旭田小学校養護教諭)

 

「ハイ、あ〜ん」歯は大切にしようね

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