教育福島0066号(1981年(S56)11月)-025page
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随想
複式学級の思い出
沼内せい子
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六年間の山間部辺地校勤務を終え、今春転任した。私が勤めた二つの小学校は特に交通不便でもないし、児童数その他のことではむしろ恵まれた環境にあった。そのためかもしれないが今は山の学校、山の子供たちが大変なつかしくまたありがたくも感じられてならない。
思い出をあげれば矢大臣への遠足、いなごとり、志田名の美しい紅葉、水石山から吹く風にたこ上げをしたことや好間川のいも煮会…。いつも、十人くらいの子供に一人の教師がついていて、手をつなぎ鼻をかみおんぶしてやり、整列も点呼も必要がないくらい家庭的な毎日だった。
しかし、私が最も悩み、今でも決して忘れられないのは、複式指導である。志田名分校で授業見学をしたことはあったが、いざ自分が担任となれば多少の知識はなんの役にも立たない。一時間の半分ずつ教えて片方は自習させるなどできそうにもなかった。教科全部について両学年の指導内容を頭に入れ、間接学習の時の資料や教材を準備すること、書いてみるとたったそれだけのことに、ずいぶん苦労をした。複式は人数が少ないのだから当然だと思われるかもしれないが、個人差が大きいから予定通りに授業は進まないし教えている自分も、一方からもう片方に渡るとき、頭の切り換えがきちんとできなくていらいらするのであった。子供たちの方がかえって複式授業に慣れていた。
その年の冬、算数で指導法を研究することになり「分数」に取り組んでみた。ようやく学級の様子もつかめ、複式の授業のパターンをおぼえてきた。両学年の資料作りをしたり事前テストから始まるたくさんのプリント類を用意したり、間接指導時に使う録音をとったり、満一歳の長男を育てながらなので時間もなかったが夢中だった。夢中でいると不思議に迷いも困惑することもない。両学年の分数に関する資料を揃えてみると系統がはっきり分かるし、間接指導時は単なる自習でなく自分の力で進める学習、友達同士助け合う学習、くり返し練習する時間などいろいろに使えることも知った。そして直接指導に移ったとき、半分の時間で学習内容をみな理解するぞと熱心な子供の目。もちろん、何もしないで自然に変わるのではなく、学校全体のきびしくあたたかい雰囲気に私も子供も励まされたし、前年度までの指導がよかったからだと思う。
研究授業の前日、かぜで声がかれてしまった。テープに録音した声もガラガラだった。でも一生懸命努力したことを子供たちは分かって、それにこたえてくれたのではないだろうか。授業にはたくさんの反省点があったが、これを一つのステップにして私は複式が苦でなくなった。単式であっても複式でも大切なのは、取り組む姿勢の真剣さだ。十年前附属小学校の長谷川教頭先生から、「先生が努力している姿から子供は学ぶ」と講話をいただいたとが身にしみて思い出される。
それにしても慣れるまでの半年くらいは思うような指導ができずに過ごしたものだ。あとからは複式の指導は、一に準備、二に訓練、三、四がなくて五に体力だと考えついた。準備というのは直接指導で扱う部分をまず取り出してみて、逆に間接のときにさせる内容と資料を準備しておく。訓練は、指導の効率を高めるため、学習の進め方やグループでの約束を、特に、間接指導のときは児童が自分たちで学習するという考え方でしっかり身につけさせる。以上のことさえできれば複式もどうにかできるのではないかと三年目には思った。ただ、時間がかかるし毎日のことで大変疲れた。五の体力は欠かせない条件である。
ことし普通学級に戻り単式で授業をしていると、「準備、訓練、体力」はどこにでもあてはまることに気がついた。これからの自分の授業に生かしたいと思う。
小さな職員室での先生がたとの温かいふれ合い、用務員のおばさんの出してくれた季節の味、そしてすなおな子供たち−−みな感謝の気持ちで思い出す。
(いわき市立平第四小学校教諭)
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