教育福島0066号(1981年(S56)11月)-045page
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ふるさと探訪
県指定重要文化財(考古資料)
大仏城跡出土宝塔 一基
総高(台石下端より塔身上端まで一〇六センチメートル)
大きさ
台石 一辺六一センチメートル
高さ四六センチメートル
塔身 最大径五三センチメートル、高さ五五センチメートル
構造及び形式
石造宝塔、凝灰岩質、相輪(宝珠)及び笠石をかく。
塔身に種子(キリク)及び台石に弘安六年四月二十日の刻銘がある。
福島市杉妻町大仏城跡といわれる県庁西舎南、土塁傍(福島城跡二の丸)より明治初年出土し、犬塚又兵より、小島氏の手を経て、同市平田字西ノ内の近野石工邸に渡り、出土地に近い県庁構内に移設されたものである。昭和初年のスケッチによると出土当時から、笠石、相輪(又は請花宝珠)を欠き、板状の自然石を笠とし、上に玉石をのせてあった。移設に際し時代相応の笠石を復元した。
塔身の中央に遺骨を納める円形の空洞がある。台石は一石造出しで、平面は方形(六一センチメートル×五九センチメートル)厚さ四六センチメートルで亀裂があり全面に風化上部肩に欠損がある。正面の中央に薬研彫りの端正な借書で「弘安六年癸未四月廿日」下に割書きで孝子□□の四文字がある。不明文字は「敬白」であろう。塔身は一石造り出しで、円筒型にし、やや肩が張り下部少しつぼみ、反花座及び雄芯が刻まれ笠石をうける上部首部は顎を造り出してある。正面にのみ大きく梵字「キリク」(阿弥陀)を楽研彫りに表現する。字体彫法極めて整美である。刻銘の「弘」の字は方偏にムと書く鎌倉時代特有の特色を示し、梵字の字体また鎌倉中期の手法を示している。
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▲ 復元前
▼ 復元後
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所在地 福島市杉妻町2番1号
所有者 福島県
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