教育福島0067号(1981年(S56)12月)-005page

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巻頭言

 

マイ・ホーム主義

池下泰弘

よく指摘されるが、確かに、いろいろな形となって、それは表れているようだ。

 

学生、生徒の“マイ・ホーム主義”の傾向が、最近よく指摘されるが、確かに、いろいろな形となって、それは表れているようだ。

例の、大卒者の「Uターン現象」なども、その一つであろう。

これは、近頃は一人っ子とか長男、長女が多いので、子供と同居を望む親の希望も強いらしいが、そもそも、学生自身の、家郷に安楽な生活を求める風潮が、次第に高まったためと聞く。

中央に就職すると、官庁、民間企業を問わず、とかく遠方への転勤などの苦労が多い。それよりは、地方の方が安定した生活ができそうだと考える。なかには、国家公務員に合格しても、出身地の公務員に合格すると、なにも国家的に働かなくても、親と一緒に暮した方がよいとして、国をやめて、地方を択ぶものもあるという。

こんな話をきくと、今の学生は、なにか人間的にスケールが小さくなり、いかにも小市民意識に堕してしまい、目先の幸せだけを求めるものが多くなった、と思わずにはいられない。

また、この間は、高卒者の大学進学に、「ローカル化現象」ということがあるのを知った。

今年の大学・短大への全国的進学状況が、十月初め、各紙に一斉に報じられたが、朝日新聞に、「高卒者の地元志向が強くなり、今年の地元大学への入学率、いわゆる残留率は過去最高となった。ローカル化現象が進んでいることがわかる」とあったからである。

大学への進学率・志願率は入学定員とも関連があるので、一概には言えないことだが、どうやら、この「ローカル化現象」も、「Uターン現象」と、その根は一つのところがありそうだ。

高校の先生がたにきくと最近では、すでに高校に入学したときから、生徒の進学志望のローカル化が起きているようだ。 昔前までは、入学直後の調査で、地元大学を第一志望とするものが、皆無に近かったような高校でも、ここ数年、その数が二クラスに余るほどになっているというのである。

地元大学を志望すること自体を難じるものではないが、これでは、高校入学のときから、自分の将来を限定してしまい、高校三年間に、自分の可能性を広く探ろうとする、夢も気概もなくしたような気配がうかがえる。ここにも、はや小成に安んじようとする、小じんまりとした姿を見る思いがする。

いま世界は、新しい相互依存の時代に入り、経済大国として、わが国が国際社会で果たすべき役割は、かってなく大きなものとなってきた。「第三の開国」の時代といわれる所以である。

このようなとき、学校が、学生、生徒の“マイ・ホーム主義”の空気を払拭し、グローバルなまでに、その視野を広げ、意識を高めることに努めなければ、「第三の開国」に挺身する、野望と活力に満ちた人材は、到底、どこからも育たないのではなかろうか。(いけしたやすひろ 元福島県立福島高等学校長・元県高校長協会長)

 

 

 


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