教育福島0067号(1981年(S56)12月)-007page
るものか見当がつかないから、具体的に目標を示して努力を促すということはむずかしい。もっと勉強をしてみんなに負けないようにと、いたずらに競争心をあおるだけのことになりがちである。それはともかくとして、子供たちが「この辺でいいや」と、必ずしも上位グループに入らなくとも下位でさえなければ良いとする気持ちになるのが恐ろしい。大人の意識から受ける影響とも合わせ考えてみるとき、子供のうちから中流意識を持つようになることは十分考えられることではないだろうか。
また、戦後の教育行政は施設の充実に追われてきた感があるが、その結果各学校ともかなり整備されてきたと思う。しかしその過程では、他に負けない学校にということで改築の機会に大幅な設備充実の計画をたて、その負担が父兄にかぶさってくる例も随分と見受けられたのである。殊に教育に直接関係がなく、ただ学校の体裁とか体面を保っためとしか思いようがないものが含まれている場合には、果たしてこれまでする必要があるのだろうかと疑問になる。これなども中流意識の表れでないかと思うのである。
ところでいま政府では行財政の改革を進めようとしており、また本県でも県の全事業についての見直しを実施しているところである。行財政の改革は国民全体にかかわる問題でもあって、いろいろな意見や批判が出されており十分論議を重ねながら進めて行くことが大切であるが、何よりもみんなが前向きで取り組む姿勢が無ければ実効は挙げ得ないものと思う。もちろん、そのために、行政サービスが大きく低下することは避けなければならないが、この際大きな変化を望まない「中流意識」についてあらためて考え、みんなが“ちょっと我慢を”することが必要ではないだろうか。
我慢する心からは他への思いやりが生まれようし、また、ちょっとした我慢は心の豊かさにつながることにもなると思うのである。