教育福島0068号(1982年(S57)01月)-035page

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随想

 

大地に根をはれ

 

仲村魁

 

けたりしながら送った新米教師時代がいつの間にか遠い昔になってしまった。

 

職員室のストーブを囲みながら、授業中での出来事や生徒の家庭、そして部活動など種々の問題を夜おそくまで話し合い、同年輩の者から相槌を打たれたり、また反論されたり、先輩からは助言を受けたりしながら送った新米教師時代がいつの間にか遠い昔になってしまった。

このごろでは、「先生、こんどは子供がお世話になります」などと、かつての教え子から挨拶されるようになって、月日が経つのは随分速いものだとつくづく感じている。

最近、私たちの年輩者が集まると「いつになったら部活動指導顧問でなくなるのだろうか」と話が出てくる。私たちの若い時代には四十歳を越えた部活監督は極めて少なかったように記憶している。これは私たちが後継者を育てなかった責任も大きいが、それにもまして、「できません」「そのようなことをやったことありません」と逃げ腰になっている若い人がいることも見逃せない。

中学校で、生徒とのふれあいの中で最も思い出として残る部活動に、技術が上手でなくても、生徒とともに、行動してみることが若さではないだろうか。できないまでも、ルールブックを見、技術指導の本を読みながら、生徒とともに活躍している若い人は貴重な存在で、その姿に接するとき、頭が下がるおもいがする。

若いということはすばらしい。新鮮であり、純粋であり、何をやっても、「若いから」ということで、大抵のことは大目に見られ、許してもらえる。若い時は二度とない。何でも挑戦してみることだ。若い中にあらゆることを経験し、苦労し、失敗し、満足しながら成長することが大切だと思う。

昨年の豪雪で、丹精こめて育てた杉が、無残にも直径十センチメ−トルぐらいのものは根元から折れたり、中途で折れたりしてしまったが、樹齢三十年を越す杉や松は、小枝が折れた程度で、しっかりと大地に立っている。

風雪に耐えた姿はたばらしい。その後山に行ってみると若木の中に曲げられなかった杉が天空に向かって伸びようとしているのを見て人世もやはり同じではないかとつくづく考えさせられた。

「苦労は買ってでもするものだ」と言われている。苦あれば楽あり、若いうちの苦労はやがて人生にとって大きな薬になるものと考える。

昔から三代目が悪いとその家は滅亡すると言われているが、戦後三代目が現在の生徒のような気がする。私が教員になったころの生徒は、戦中派の父母を持つ子供たちで、冬校庭の通路の除雪をしていると「先生、私たちがやります」と率先して除雪にとりかかり、「おい、少し手伝えよ」と言えば子供たちも除雪を手伝う。このような生徒が親となり現在の生徒が三代目である。この親の育つ時代は、物資も極めて少なく、部活動で使用するボ−ルは修理に修理を重ねて、修理不可能になって新品と交換できるというような状態であった。だからグランドでの練習は少々雨が降ればとりやめて用具の修理に励んだものであった。

このように恵まれない時代に成長した親たちは、せめて子供たちには、そのような苦労はさせたくないという親心と恵まれた現状から現在の子供たちは、あらゆることが自己の主張どおりになるものと考えて行動しているように思われる。

これら三代目の子供たちを将来の展望にたって、強く、たくましく育てる使命は大きい。生徒の立場にたって考えることも必要であるが、教師はやはり指導することを忘れていけない。若い人々のすばらしい考え方や行動をしつかり受けとめ、独り貝殻に閉じこもることなくみんなと一緒に共育に励んで欲しいと思う。

私もいつまでも若い人々と話し合いができ、共感できるためには、共感しあえる若さを持ち続けねばならないと日々努力を続けているところである。

(郡山市立郡山第一中学校教諭)

 

 

 


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