教育福島0068号(1982年(S57)01月)-037page
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随想
四つの言葉
山内仙一
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若い教師に贈る言葉を書けとの仰せである。他に適任者が大勢おられるのになにも私ごときものがと辞退しても許されない。拙い心境の一端をさらけ出し、たたき台になれとの趣旨かと思い直し、ここ数年独吟連句まがいのものに書きとめたものから四つの部分を抜き出し、そこをそれぞれ贈る言葉らしいものにしてみようと思う。
不平不満や挫折感などばかりで、いわば憂さ捨て言葉のようであるが、教師なればこそ憂さは秘めやかに対処し速やかに明るさを呼び戻したいと念願しているためかも知れない。
最初は、全力を傾注した結果がこのていたらくと、蘇武・李陵気どりで、「人人我我 昔昔今今……」などと、自作のお経めいたものを口ずさんで、悶々と日を送っていたころの心境の推移のつもりである。
所望致すは韮の雑炊
妄執と人は笑へど嘲れど
雷光一閃即身成仏
娑婆なみの退屈過密続くとは
苦労恋しや悩みも夢も
再起を秘かに願っても叶わず、あの世へ行った気持ちになって一切放棄、なにもしないでいては暇で退屈、やっぱりこの世の苦労が恋しいと悟りすましたお粗末の一席。「苦労いとうな」で幕。「むだ骨折るな」ととられるかも知れないが、先覚者であるべき仕事に苦悩はつきものである以上、「いとうな」といきたい。
むつき友がきうときやくつき
きつつきも木魚よろしく鎮魂経
家を巡りてひきがへる老ゆ
夢みたり変身飛行自在の翼
浄土はるけくヒマラヤに立つ
同僚から親しくされるが、心は寒い。友が皆偉く見える時は花を買って来て心を慰めるという啄木の歌の気持ちがよくわかる。また、こう「き」が続くのは、「きつつき」が木をつついてわが魂を鎮めてくれると思われてありがたい。「長子家去るすべもなし」と一家を支えて来た気持ちは、当世風ではないが、ふるさと志向の先取りではないか。また、望みだけは人後に落ちばしないと、われとわが身を慰め、「心いたわれ」とひとりごとを繰り返しては、とぼとぼ歩み続ける。
筆順をなぞり手習ふ初うまご
一、二分背伸ぶと群れ競ふ稚児
見れば見るほどに気高き白き山
月冴ゆる夜をわたるかりがね
初孫の成長ぶりに目を細めつつ、一、二年早い遅いなどと争うのは児戯に等しい。ひたすら「気高さ目指ぜ」と、けなげに自分に言い聞かせた時期もあった。
紅白の南天福寿草と菊
日日新衣紫野牡丹
松春にめぐり葵の夢な蘭
竹楠蓼と梅一、二輪
軒下に南天、その根本に福寿草を植え、菊の鉢も並べた。難を転じて福寿となる相だと聞くと縁起をかつぐ。日日新しい衣の装いで紫の花を見せてくれるのぼたんの清らかな美しさ。紫野には「あかねさす紫野ゆき……」の歌も連想され、恋慕の情のようなものを感じる。歌手の名と待つ春。葵と逢ふ日。蘭と「らん」。たけく巣立て!と祝福。蘭・竹・梅・菊の四君子をおもかげにして、「夢をはぐくめ」とつぶやくのは、まだまだ甘いと笑われるのがおちか。
「苦労いとうな、心いたわれ、気高さ目指ぜ、夢をはぐくめ」、この四つの言葉の、次は、いわば、そのスケッチ。
如意不如意生ける証と奮ひ立ち
飯豊大日山頂に立つ
佐渡弥彦かなたかすかに能登らしき
歌え第九を歓喜に寄ぜて
十数回登っている飯豊連峰の、大日山頂から能登半島らしい一線がほの見えた感激。耳順一歩前の、山岳部顧問としては最後の、飯豊山行となった。
(福島県立会津女子高等学校教諭)
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