教育福島0068号(1982年(S57)01月)-038page

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随想

 

病弱教育の耕し

 

大堀重男

 

愛しみのあふるるときし厳格の鞭は

 

愛しみのあふるるときし厳格の鞭は

病弱の子らにひびかう

「ここは、日曜日でも疲れるな」「どうして」「だって夕方の五時半から読書はしんなねべし、七時からは、日記かかんなねべし、休むひまがないな」最近入院して来た子供との会話である。当分校は、竹田綜合病院内に設置され、主体的な自我意識を強めるべく医療と教育の融合化の過程で治療教育をすすめている。

六時に起床、検温、そして二十時三十分に消灯。その間、ぎっしりと生活行動が埋められている。子供一人一人を正しく理解し、子供のがわにたっての二十四時間指導体制が組まれている。医療効果を高めるべく、医療スタッフと教育スタッフとのカンファランスを通し、子供の心のひだに響くよろこびを与えながら、生活創りに努めている。腎炎、ネフロ−ゼ症候群の入院児が最も多く、次いで喘息、下腿骨々折と続き、病類は多様化し、症状が複雑化している。 (ほとんどが入院即転入学)

刺激の少ない病棟、動きに欠ける病室での生活、たち切られた自然との接触。中央病棟四階の窓だけが、四季の変化を告げ、子供たちへ感情の移入を図ってくれる。自然に学ぶ心を育み、時にふれ折にふれて、自然を満喫させるように力を注いでいる。素朴なつぶやきを大切にし心に映し出されたものを表現するよろこびを味わせている。

省脳化(考えを必要としない行動)の生活が、自然をとらえるはたらきを鈍くし、見ればわかるという受身の生活が、発見のよろこびをうばっている。覚える、わかるは、考えることとは違う。考えることは「なぜ、どうして」と、はたらきかける生き生きとした頭の活動を軸にしたものである。疑問を問題として、はっきりさせ、それをどうしたら解くことができるか、努力させている。

「よく見なさい」から「どうなっているのかな」と次元を高めながら、疑問をもって見させている。更に、病室即学習室に、山野の実を持ち運び、全感覚を通して、ものと触れ合う体験を大切にしている。

心のアンテナで自然をとらえさせている。四階の窓から見て、毎日変化していく野山の様子を語らせている。

 

水たまり (小四 子供作品)

病室の前の水たまり/みどりのこけが水の中にある/水たまりの中には小石や葉っぱ、草/だれかが歩いたくつのあとがある/木や空の雲がうつっている

 

毎日毎日書かせていく過程で、少しずつくわしさと確かさを要求している。時には、課題を出してやる。あしたは「朝」を見てとか、「朝つゆ」を見てとか、といったように。二、三日間、同じものを見つめさせて書かせる。同じものでも、時によって、感情によって見方が違う。自然を書く過程で、自然のきびしさや法則を見つけ出している。人間性活のきびしさや生物それぞれの生きている役割、自然界の法則らしきものを体得していく。

夕方七時過ぎになると、子供たちは家庭生活のぬくみを恋しがる。それが破行的なうごきとなって表れてくる。こんな時、この子供たちは「ことばによるスキンシップ」を求める。一人一人の子供に、ぬくみの漂うことばかけをしている。寝る前に歯をみがく約束はなかなか守れない。 「昨日、あなたの口からすばらしい香りがしたね。またかがせてね」このようなことばかけは、子供の努力感情を強め、意欲的な行動を誘う。

肯定的で積極的なことばかけは、子供たちの内発的意欲を醸し出す。内発的意欲は、副腎皮質ホルモンの分秘を促し、新しい自分を創り出していこうとする行動をひき起こしている。「ゴ−ルを示し、教えることから認めること」への道を追い求めている。認めることにより、「ひとり学習」にいのちがこもってくる。自己評価、相互評価が行われ、認識は深められていく。「自己確立」を図っていくため、自己評価の能力と習慣をつけさぜている。

病室内におかれている特異的な生活環境にあるので、環境づくりの視点を有用性、健康性、魅力性、力動性においている。そして、教師こそ最高の環境であることを確かめている。

(福島県立須賀川養護学校竹田分校教諭)

 

 

 


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