教育福島0071号(1982年(S57)06月)-023page

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随想

 

新学期を迎えて

 

新妻愛子

 

新妻愛子

 

私は、これまでに、年少組(四歳児)の子供たちを、何度か受け持ちました。この子供たちも、三学期頃になると、もうすぐ年長組になる喜びと、期待に胸をふくらませ、私たちの一つ一つの言葉かけや、動作にも、敏感に反応し、一人一人の眼も、生き生きと輝いてきます。私は、この眼に出会う時何とも言い表わせない感動を覚えます。どの眼を見ても、一年間、一緒にがんばってきた先生を信頼するような、気持の通じている眼なのです。私は、「いつまでもこの子供たちとともにいたい」と思います。

今年度も、また新学期を迎えましたが、私は、北幼稚園より南幼稚園に異動することになりました。しかし同町なので特に不安は感じませんでしたが子供たちは、生まれて初めての集団生活の第一歩を、どう受け止めているのでしょう。私は、保育者として、この新学期が本当に大切であることと、この子供たちを、どう保育すべきか、指導過程の一つを考えても、今だに難しく思うのです。さまざまな家庭環境に育ち、幼稚園の生活に、夢と希望を抱いて入園してくる子、初めから友達の中に溶け込み、何にでも興味を示し、楽しそうに遊んでいる子、不安を隠しきれず、保育者の手を探し、膝の上で安心し、やっと言いたいことを一言いう子、どんな言葉かけにも耳を貸さない子……など、それはまさにさまざまであります。この子供たちが、やがて、保育者の手や膝から離れ言葉かけに耳を貸し、友達の中に入っていくのは、一体いつであろうか?、どんな言葉かけや、どんなきっかけが必要なのであろうか、小さな心を開いてくれるのはいつなのであろうか。自分で決断し、集団の中に入り、溶け込むということは小さい子にとって容易でないものがあろうと思われます。

私自身、幼少の頃を考えた時、無口な子供であったことを覚えています。母の話によると、農家で生まれた私は作業のかたわら、畑や田んぼの土手で常に一人遊び、友達は、草花や小さな虫たちであったためだろうと言われております。

さまざまな子供たちの一人一人の性格や行動は、生まれてからの発育度や家庭環境が大きく左右するといわれております。したがって保育者はまず何よりも一人一人の子供を良く理解することが極めて重要なことと考えられます。そのために私たちは、客観的に子供をどう理解し、どんな保育計画のもと、どのように保育指導を展開すべきか…、考えると、子供が好きだからとか、情熱だけでは済まされない数多くの問題がでてきて悩みます。それにしても、子供や父兄から信頼されるような教師になりたいという欲ばかりでてくる今日この頃です。

一年が過ぎて、子供たちを送り出す時の気持は、本当にさびしく、これでよかったのだろうかと反省させられることばかりです。幼稚園勤務の経験が多くなるにつれ、教育のむずかしさを感ずるこの頃ですが、子供たちの理解に努め、ふれあいを通して一分一秒の保育の時間を大切にし、自分の力を精一杯注ぎたいと思っています。そして一日でも早く自信を持って子どもを卒園させることができるようになりたいと思います。

今年度も、始まったばかりですが、私には常にあの不安そうな戸惑いの子供の眼と、教師にすがりたいような子供の眼が、脳裏に浮かびます。こうした子どもたちのために、初心に帰って保育指導に努力していきたいと思っています。

(楢葉町立楢葉南幼稚園教諭)

 

砂あそびの園児

砂あそびの園児

 

 

 


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