教育福島0071号(1982年(S57)06月)-024page
随想
子供の目
佐藤精雄
「おはようございます」
「おはよう」
きょうも元気に子供たちが登校してくる。勉強するぞ、友達に会えるぞ、友達と遊べるぞ、はずんだ子供たちの声にいろいろな思いがこめられている。
せっせと、登校してくる子供たちの姿に親と子供の願いが重なっている。
「きょうこそは−」
「きょうこそは−」
朝、新しい一日が始まる。
「先生だ!」
「せんせーっ」
子供たちの呼ぶ声には信頼の響きがある。
ある学校の補欠授業にでたとき、隣の学級の先生が私を呼びにこられた。
「先生は?」
…「休みですよ」
…「いませんよ」
「あれれ…、自分の学級の先生しか先生と思っていないんだね」子供たちが、わたしの先生と思っているのは、担任の先生なのだ
「先生、お願いします」
「先生、ごめんなさい」という先生は、ただ一人、担任の先生なのだ。
「おー、しばらく、しばらく」
久方ぶりに小学校時代の同級会が開かれた。終戦後の物資不足や学校給食の始まりなど話に花がさいた。
「この会にくる前に母校に寄ってきたんだけど、あの急で長い坂は思ったよりも長くも高くもなかったぞ」
「そういえば土手のわきの道も、ずい分とせまいんだな。今みると…」
「夕方になると、校舎の長い影が校庭にずっと広がりこわかったなあ」
三十有余年も前、当時の子供の目でみた光景がそのまま私たちの心によみがえってきていた。恩師も若々しく、みんなの顔も心も児童になっていた。
外国の方と話をする機会があった。外国語のわからない私は、一瞬も目を離せない。わからないなりにわかろうと努力する。そのためにはからだ全体で話したり聞いたりしなければならないからである。
こうして、言葉がわからなくとも本気で聞けば意味が通じるということが本当にわかったのである。貴重な経験であった。
子供を本当に理解するには、言葉が通じない同志で話を通じさせるぐらいの心構えでやらなければなるまい。
子供の目の色、目の動きからその意味がわかり、子供と目で話すことのできる先生でありたい。
わが子が幼稚園時代、運動会を参観したときのことである。
子供たちは懸命に走ったり、競ったりした。表彰のときのこと、代表の子供が園長先生の前にいく。すると、園長先生は、すーっとしゃがみこむ。子供の目の高さのところにご自分の目を合わせられる。
「おめでとう」
「がんばったね」
五月の風がさわやかに子供たちの歓声を空にはこぶ、すばらしい運動会であった。
ある夕方、帰りの用意をしていると玄関の方で子供の声がする。何だろうといくと、母親が赤ん坊を背負って子供とともにきている。新一年生だ。「はじめての宿題を忘れたのです。学級にとりに行かせてください」子供の目が全てを話している。一緒に教室へ行く。机の中には、ない。ロッカーの中には、…。
「あった!」
小さいことだけれども子供と親の思いが心に痛い夕暮れであった。
(郡山市立柴宮小学校教頭)
元気な子どもたち