教育福島0071号(1982年(S57)06月)-026page
随想
内なるもの
花井宣明
窓を開けると潮の匂いのするさわやかな風が吹いてくる季節となった。陽射しは初夏を思わせるが、この海風が汗をかいた肌にはなんともいえないほど心地よい。四月に入学した一年生は高校生活に慣れ、テラスにとび出しては友と戯れている。時には、破目をはずしてお目玉をくらう者もちらほら出るようになった。その中に、いくらはしゃぎまわりたくてもそうできないS君がいる。
S君は、今年三月の入試には病院からやって来た。今も病院から通学している。二月には大腿部を切断する大手術を受けたのだという。はき慣れない義足を右手で支えながら歩き、椅子に座るときは、その義足をぎごちなく折り曲げる。
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私が勿来に来てから三年が経ってしまった。浜の風土に慣れようと無我夢中で過ごしてきたが、この間、幾人かの重症の障害者に出逢った。
Hさんは、字を書くことこそ克服してできるようになったが、手足が不自由で車椅子の生活であった。両親の並々ならぬ努力と、同級生の温かい友情に支えられて、三年間ほとんど休むことなくやり通した。Mさんは、骨肉腫のため、保健室で苦しみながら受験した。まさに、気力の挑戦であった。かつて私が担任だった生徒の妹ということもあって、なおさら心が痛んだ。今でも苦渋に満ちた蒼白い顔が浮かんでくる。
昨年の秋の終わり、ほとんどのスポーツがシーズンオフに入るころ、部活動の中心選手でありながら、生活態度が大きく乱れた生徒がいた。彼の話を聞き、諭して帰したが、私の胸の内は明日もまた同じことを言わなければならないだろうという、強い不信感でいっぱいであった。折りしも昨年は国際障害者年ということもあって、同僚と話をしているうち、「彼らのほうが本当の障害者なのかもしれませんね。もしかしたら、先生を含めた私たちも」ということばに、一瞬愕然とした。私たちも障害者だというのである。そして、その同僚が一冊の本を勧めてくれた。
自ら先天性脊椎破裂症という肉体的ハンディを負った詩人であり、牧師である島崎光正著の「病める葦を折ることなく」であった。その中に、ある脳性麻庫の女性の「私は知っています」という詩が紹介されている。「一度も歩いたことがなく、話すことも満足にできないが、それゆえに、どこへでも運んでくれる父母兄弟の温かい背中を知っているし、他人の悪口を言わずにすみ、悲しみ苦しみの中にも喜びや楽しみがあることを知っている」とその詩は語っている。
肉体的ハンディを負った人の喜びや感謝の気持ちが、飾ることなく表現されていて、感動せずにはいられなかった。そして、著者は、宗教のうえに立った強い心で、「外なる傷ではなく、「内なる傷」こそ永遠の生命に到る道をはばむものと言っている。
私が出逢った「外なる傷」を持つHさんやMさんも、驚くほど素直な「内なるもの」の持ち主であり、生きることにひと一倍積極的な姿勢で臨んでいた。
今言われたことをすぐに忘れてしまい、後ろめたさすら感じずに刹那的に過ちを犯す生徒たちQ彼らを叱っているうち、逃げ場を与えず問い詰め、更に懐疑のまなこで見てしまう私。互いに、なんと「病める葦」であろうか。「内なるもの」のなんと貧弱なことか。私自身、心の豊かな教師になろうと思い、試行錯誤を繰り返してきたが、同僚の「私たちも障害者」ということばにぎくりとさせられ、まだまだ「外なる傷」に対する偏見を持ち、人間性が貧しかったことをさらに出したような思いであった。
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春になり、S君が入学してきた。私に本を勧めてくれた同僚がS君を担任することになった。主治医と担任の励ましだけでなく、自らの強い意志で彼は今日も痛みをこらえて登校してきた。
彼の「外なる傷」−それは、どう転帰するか、わからない不安な「外なる傷」なのである。それでも彼は、ほほえみながら、グランドの片隅で黙々と授業日誌をつけている。
(福島県立勿来高等学校教諭)