教育福島0072号(1982年(S57)07月)-044page

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こぼればなし

 

今、手元に昭和二十四年十月一日印刷、十日発行の冊子がある。陽にやけた粗末な紙からは三十年以上も前の歴史の鼓動が響いてくるようだ。福島縣教育委員會月報七月創刊號と、表紙(といっても、本文印刷と同じ紙を使用したものであるが)にしるされている。編集は、福島県教育委員會事務局調査課の手によるものである。

ページを追ってみると、まず福島軍政部民間教育部吉岡信夫氏が創刊を祝って、「良い先生方とは、私達の熟知しているよらに、生存の状態を改善せんとする精神を以て、絶えず知識を豊かにしてゆく人々のこと」であると述べている。もっとも吉岡氏は、この月の十八日に千葉県の軍政部に転任したため、最後のぺージでは「吉岡さんを送る」惜別のことばを書かなければならない皮肉な編集にはなっているが、各ページに目を通してみると、なんと粗末な紙に豊かな内容が織りこまれていることか。あらためて、編集に携わった先輩諸氏に脱帽せざるをえない。

以後、この冊子は、昭和三十三年四月まで発行され、「月報」の時代を経て、三十五年四月から五十年三月まで「教育月報」に、更に、五十年四月から、現在の「教育福島」へとうつりかわってきた。「教育福島」そのものは、今月号で七十二号目を迎えたことになるが、そのお母さんの、そのまたお母さんが、すでに昭和二十四年に誕生していたということは、昭和二十三年十一月一日が教育委員会制度発足であることを考えてみても本当にすばらしいことだと思う。編集の方も、調査課から教育調査研究所へ、更に、秘書室から現在の総務課へと代わってきたことからその時代の「広報」のおかれていた立場がわかるような気がしておもしろい。

それにしても、と思う。このほこりにまみれた冊子の行間に、なつかしい顔を発見できるのもすばらしいことだ。「あとがき」や「編集後記」などは、創刊号から一ぺージのスペースをさいて、一つの教育論が語られている。「Y生」とは山野辺修平氏であろうし、「(K)」の署名の編集子は、現白河市教育長の深谷健先生に違いない。芸能界で活躍中の一谷伸江さんの父君、一谷清昭氏は、謹厳な氏の性格を表しているのだろう「一谷清昭記」と、署名されている。佐藤昌志教育次長も、若き学務課管理主事時代に「教師の法律メモ」を執筆しているといったぐあいである。

ふたたびそれにしても、と思う。昭和二十七年当時の定価は五十円、送料十二円。ちなみに昭和二十七年九月十日発行の冊子には、吾妻荘の告知がなされているが、「組合員の皆様、集会に、宿泊に、そして、御家族皆様のレクリェーションに、御気軽に御利用下さい」といった調子で、「一泊二食付(主食代は別)金三七五円(税サービス料も含む)」と、続けられている。ラーメン通にいわせると、当時のラーメン代は三十円だというからざっと十倍。世の中変われば変わるものだ。

ところで、現在編集子は、(ひ)で「こぼればなし」と「あとがき」を書かせていただいているが、(ひ)は秘)ではないので、だれにでもわかっていただける広報誌づくりをめざして、文字通り内容も十倍のものを…と欲張っている昨今ではある。

 

あとがき

 

○ 稲交びが音をともなって通過していく。七月は雷の季節。電は稲妻とも稲夫とも。古代、天の神が雷神となって下界に降り、稲妻を懐胎させ、稲をみのらせると考えられていた。電は、稲の花の咲く季節に多く発生することから、豊作に結びつけて考えたのであろう。

○ 雷の下キャベツ抱いて走り出すとは波郷の句。最近流行の家庭菜園家がニンマりしそうな句だが、現実はそうはいかないらしい。

○ 春雷、冬の雷などロマンチックな雷もあるが、やはり夏の雷が、カミナリらしくていい。

○ 雷の季節。海の季節。山の季節。自然に恵まれた中で、有意義な夏休みを、と願う。

(ひ)

 

 

 

 

 

 


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