教育福島0073号(1982年(S57)08月)-005page

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巻頭言

 

互いにいたわりの心を

 

互いにいたわりの心を

 

松田友吉

 

この今の社会に、真の女子教育が存在するのか、と問われるとその入口で迷ってしまう。

そういうものの、私どもは、現実に毎日生徒とともに生活しているのであるから、問題があればもちろんのこと日常的なさ細なことでも避けて通ることはできない。

そのケースにもよるが、女子の場合に、一人の生徒を指導する際、クラス全員の前でよりは、教育相談室等でじっくりと説き聞かせる方が良いようである。それは心の一部であっても、対人関係においての自我の強さの感情は男子よりも強いからであり、心理学もそう教えている。

ところで、男女の特性の相違は、女子に妊娠、出産があることのみであって他は全く同じであるという論も耳にするが果たしてそうであろうか。男女の体の差異とともに、情緒とか、感受性、自我の様式等においておのおの特性のあることは、私だけの経験や認識ではないと思う。

さて、特性論に関してであるが、一九八○年七月、日本政府は「婦人に対するあらゆる形態の差別の撒廃に関する条約」に署名した。このことに関連して、外務省側は、高等学校の教育課程の中で、「家庭一般」について、女子が必修、男子が選択になっているのは、こり条約と若干問題があるのではないか、つまり男女とも同じ教育課程にすべきだとして文部省側と意見の相違がみられる。文部省側としては「女子の特性に対する必要な教育上の配慮である」という見方を示している。

新渡戸稲造先生は、神の前には、男女の差別などあり得るはずがないし、また、妻にもなっていない女生徒に対し、良妻賢母になれという教育よりもまず人間として立派であることを教えそういう育て方をすべきだとしきりに説いておられた。私もこれに全く同感である。

付け加えて私は、新渡戸先生の言われたように、まず立派な人間性を育成し、それを踏まえながらその良き特性を大切に守り育てていくような教育が存在するものと思うが、いかがであろうか。「男女の人間としての平等」思想の先進国に学ぶべきことは多々あると思うが、またその一面、アメリカなどでみられるように、家庭の崩壊が社会問題になっており、家庭は家族の安住、いこいの場からほど遠くなっているという。

ともかくも男女平等の根本は、互いに人間として尊重し合い、思いやり、いたわり合うきずなを大事にしていくことであろう。先の家庭科教育についても、男女両性の特性を生かしながらまた世界的視野からも、よりよい家庭生活の探究を深く心がけていく必要がある、そういう時代なんだと強く思われるのである。(まつだともきち・福島県高等学校教育研究会会長/福島西女子高等学校長)

 

 

 


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