教育福島0074号(1982年(S57)09月)-005page

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巻頭言

 

若き日に読書を

 

斎藤正夫

 

斎藤正夫

 

岩波の雑誌「図書」(一九八一・三月号)に、椋鳩十(むくはとじゅう)氏の随想が載っている。その一部を紹介するが、「私は、美しい孫とじいさんの姿が、ありありと目の前に見えるような気がした。その場面を思い浮かべて、心の中が、ほうと、あたたかになり、幸福に似たものが、心の中にひろがって行くような気がした。その時のハイジとアルムのじいさんとの会話

−−おじいちゃん、夕焼けは、なぜあんなに美しいの。

−−この世の中で、一番美しいものは、お別れする時の言葉さ。夕焼けは、太陽が山にさようならをいっている、あいさつの言葉だから美しいのさ。

こんなふうな会話の内容だった。六十年以上もたった今でも、会話の内容だけは心の中に生きている」とある。

筆者は、受持の先生から借りた「ハイジ」という本を、家の庭続きの松林で読み、感動に胸をときめかせながらふたりがアルプスの岩に並んで腰かけて、峰々に映える夕焼けを眺めている場面に読み進んだ時の感激を追想して書いている。そして、「私は、ため息をつきながら、本をひざの上に置いて顔をあげた」と述べている。

今は亡き湯川秀樹博士は、その著「本の中の世界」で、「……本を読んでいるうちに、本のつくりだす世界に没入してしまえたら、それは大きな喜びである。本を読んでいるうちに、いつのまにか本をはなれて、自分なりの空想を勝手に発展させることができたらこれまた大いに楽しいことである」と書いておられるが、椋鳩十氏も、少年の日に、このような幸福な経験をされたのであろう。

わたしは、感じやすい時期にある若人たちに、良き本との幸福な出会いを経験させたく常に読書を勧めている。

川俣高校に勤務していた時、卒業を目前に控えた定時制課程のMさんが、「夜道」という生徒会誌に、「『次郎物語』を読んで思うこと」という感想文を寄せ、その末尾を「私は結婚する時も、貴重な財産としてこの本を持って行き、子を持つ親の立場になってから、もう一度、じっくり読んでみようと思っている」と結んでいるのを取り上げ、「良い本に出会ったMさんは幸福者だね」と、生徒たちに語った。

わたし自身、中学生の時、トルストイの「人はなにで生きるか」を読み、ミハイルが「人間はだれでも自分に対する心づかいで生きるのではない、愛によって生きるのだということを、わたしは知ったのです」とセミョーンたちに語る一節に、激しく心を打たれたことを記憶している。感動は感動の方向に人を変えるというが、自分中心の生き方を恥じたわたしは、次第に他人のこと、特に困っている人々のことに強い関心を持つようになって行った。

 

(さいとうまさお・福島県立図書館長)

 

 

 


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