教育福島0074号(1982年(S57)09月)-007page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ていげん

 

げなど優れた作品を制作。期待される女流陶芸家の一人である。福島市出身。

 

し、秩父宮妃殿下花器献上品買上げなど優れた作品を制作。期待される女流陶芸家の一人である。福島市出身。

 

から、ハングリー精神を植えつけられたような気がする。今でも忘れる事が出来ないのは、姉と私の遠足の日がかち合ってしまい、一つしかないリュックをどちらが使うかでもめたあげく姉が使うことになったとき、私は竹製の子供の身体には大きすぎる買物かごで我慢させられ、子供心にも恰好悪い自分がとても惨めに感じられ、真新しい友達のリュックをとてもうらやましく見ていたのを思い出す。このような体験もあるのだろうが、物事に対する執着心が他の姉妹より強く、自分のものにするまでの努力は惜しまない良い性格も身につけたように思う。育った時代背景も変化してきており、自分の体験したことが今の時代に合うかどうかは別として、若者の気質が変わってきていることを感じる。 

また、男性が一般的にやさしくなってきているし、女性自身もそのような男性に惹かれるのが多いと聞く。強いことが男のイメージとされてきた世代の人たちには軟弱として受け取られるのかもしれない。

男は逞しくなければ生きてゆけない、男はやさしくなければ生きる資格がない、という言葉が好きだ。今までの男性は、強さだけを強調され男性自身の中にもそれがあたりまえと思い込んでいたのではないだろうか、特に女性に関しては、相手が自分に合わせるのが当然とし、労わりの気持ちが少なかったように思う。そんな世代の人たちから見て、今の若者たちが本音の部分で行動しているのをどう受け止めているか、興味のあるところである。女性の意識が根元の方からヒタヒタと変化しているのと同じように、若い男性の側からもそれが言えるのではないだろうか。また仕事一筋に生きてまた世代の人に共通していえるのは、「遊び下手」ということだ。遊びはゆとりであると思うし、その心がなければ相手に対する労わりの心も起きてこないだろうと思う。

男は逞しくなければ生きてゆけない。男はやさしくなければ生きる資格がない。この言葉をもう一度考えてみてほしいのです。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。