教育福島0074号(1982年(S57)09月)-018page
随想
ずいそうずいそうずいそう
つゆのころ
鈴木祐美子
「先生、ぼくの家近いんだよ」私の手をきつく握ってすたすたと歩くDちゃん。
四方を山で囲まれたのどかな農村地帯。その山あいに点在する人家、朝夕の通勤時以外は、車が時折り往き来する程度。
舗装された幅の広い道路を四キロも歩いて帰るDちゃん。降園時は、毎日一定の所まで送っているが、この間、Dちゃんは「うんとね、今度の日曜日ね」などとよくしゃべっていたのに。
「腹が痛いと言うものですから、欠席させて下さい」Dちゃんの母親から電話を受けたのは一昨年の朝。受話器を置きながら、この二、三日、朝の挨拶をしないなあ、帰るころになるとぐずるなあ。もしかすると……。と気づいた時は遅く、翌朝はまた欠席の連絡。「帰り歩くのがいやだと言うんです」母親にも歩いて迎えに出てほしいと頼み、また、「先生、Dちゃんと手をつないで、ずうっと送って行ってあげるから」とも。
入園前は、歩くことが少なく、現在も朝は父親の出勤する車で登園するDちゃんの「歩きたくない」は切実なものだろう。当分、もう少し先まで送って行こう。きつく握った白くかわいい手は、「先生もっと送って行って」と叫んでいるよう。十何人かの園児の先頭をDちゃんと手をつないで私も黙って歩く。
園児と別れるいつもの所を通り過ぎると、年長児は幼稚園を出てくる時に「先生、ずうっと送って行ってあげるからね」と、Dちゃんと小声で話をしているのを察知してか何も言わないが、「先生、今日はさよならしないの」と年少児。「うん、今日はもう少し送って行くわね」今まで声を出さなかったDちゃんがすごい早口でしゃべり出す。ぼくが話をしていれば「さよなら」って言わないな。いっぱい話そう。
Dちゃんの必死の話しかけに応えながら、さて、どこまで送ろうか。「うん、もういいよ」と言ってくれるのはどこだろう。
早く気づいて、もう少し送る距離をのばしていれば−。毎年ここまでだからと、安易だった自分を反省する。
見通しのよい急な下り坂で、明日の約束をして別れる。いつもは、活発で面倒みのよい年長児と組ませて帰るのだが、今日はおとなしい年長児と帰す。翌日は、「先生、昨日の所まででいいよ」私と手を握り、「あっ、山いちご、ぼく食べたことある」「先生昨日の所まで送って行ってあげるからG子ちゃんと手をつなぐ」「うん」途中から友達と手をつなぐ。「バイバーイ」「バイバーイ」坂の上で見守っていると、何度も手を振って行く。
新入園児が落ち着いてくる六月になると、毎年、登園拒否児がみられる。ほっとする心のすきを彼らは見抜くのだろう。
予期しなかった幼児がである。
年長組に姉がいて、入園前より保育参観、いもほりや発表会など母親と訪れ園内を走り回っていたDちゃん。愛玩具もいくつかあるDちゃん。
「認めてもらえない」という不安が腹痛や歩くのがいやということになったのだろう。
二日で元気になったDちゃん。明日も来てね。という私の願いが通じたようだ。
こんなにも先生をみつめているのか。
気のゆるみをいましめてくれたのだなと、わらびの穂がのび、山いちご、山あじさいの続く路々、園へ戻りながら考えさせられた。
(いわき市立四倉第四幼稚園教諭)
みんなといっしょ