教育福島0074号(1982年(S57)09月)-019page

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随想

 

ずいそうずいそうずいそう

 

子供を支えるもの

 

深谷金之助

 

深谷金之助

 

雪の降る夜、事故にあい、頭部を強く打って一年半ベッドに寝たきりの従兄がいる。食事・排せつはおろか、言動すべて人の手にゆだねられている。

事故後半年ほどして、微々たる変化ではあるが、妻の懸命の働きかけに反応するようになった。その後、看病に疲れた妻が三日間彼を病院に任せ、家に帰ることがあった。すると、その間に、彼は以前の状態に戻ってしまったという。なに一つ自分でできない彼が妻や子の愛に応えて何かを訴えようと努力する。人間の生きる力とは、まさに、愛の働きかけによって支えられていると思わざるを得ない。

子供も、生きる力を欲する。愛の働きかけあるを望んでいる。

数年前、グループでおもちゃを万引した幼い子供たちに接したことがあった。その子供たちがいろいろ話してくれたことによると、一人の子は、万引する前に誰彼なく仲間を誘っていた。また一人は、自分の好きな子と同じくらい取ることで友達関係が深まったように感じていた。更に別の子は、物をを取ったことよりへその行為でグループの仲間になれたことを喜んでいた。

子供たちが真に求めていたものは、おもちゃそのものではなかったのだ。

仕事で忙しい親たちから疎遠にされた彼らが、友達と約束し、信じ合い、かかわり合う中に、彼らなりの幼い生きがいを見出していたのではないのか。

時々、おう吐し、学校を休む子がいた。医師の診断では、身体的異常はどこにもなかった。精神的なものが原因とはわかっていても、本人はもちろん、周囲もおう吐する直接のきっかけはつかめない。彼は登校すると、そっと子供たちのグループや担任に近づくが、ただながめているだけで、自ら遊びにとけ込んだり、話しかけたりはしない。吐く時、それは、他の子供たちが遊びに夢中になり彼を忘れている時や、担任が忙しくて彼を意識していない時などに多かった。声をかけてほしい、構ってほしい、何らかのかかわりを持ってほしいという思いはあっても、彼は、他の健康な子供たちのように自ら働きかけるすべを持ち合わせていないようであった。

また、女の子に度々乱暴し、けがをさせたりする男の子がいた。母は仕事を持ち、多忙を極めていた。子供に向ける言葉は荒れていた。息子の問題行動を知った母親は、本来の優しさをとり戻そうと努めた。その過程で、彼はしだいに落ち着いた生活態度に変わっていった。

これらの例は、特殊と言えばそうも言える。しかし、一見健康に生活している私のクラスの子供たちにも、なにか悩みがあり、つまずきがあり、いらだちがある。計算ができない。漢字が覚えられない。友達との競争で負ける先生に気持ちがわかってもらえない。そして、ひどく落ち込むこともあろう。その時、彼らはなにを支えにして立ちあがろうとするのか。

確かに、現代は、物質的には子供たちに多くの物を与えている。しかし、以前にも増して多くの問題や非行が生まれている。子供たちは多くのものを求めている。が、それが真実に欲しているものだろうか。大人は何か見落してはいないか。私自身、日々の仕事の処理に心を奪われ、これらの子供たちの声なき訴えをどれだけ吸い上げ、応えてきたか疑問に思い、やりきれなくなる。

そんな最近、かつての教え子である大学生から、一本のテープが送られてきた。北海道家庭学校(教護施設)の谷先生の講演内容である。その一節に「施設に入ってくる子供たちが、ここに信ずべき人がいる、本当に自分のことを考えてくれる人がいる、そう思える人間的出会いが成立するなら、以後彼らは自信を持って歩いていくことだろう。

私たちは、何もできないと思うことがある。子供の生活環境を大きく変えてやるという力もないし、子供の才能を大いに伸ばすという力もなさそうだが、願わくば、『人と人との真実、人と人との交わりを以て信ずべし』そういうつながりにおいて、子供たちとかかわっていくこと、それはできると思う。一生懸命やればできると思う」とあり、これを天声と聞き、一筋の光を見出す思いであった。

 

(梁川町立梁川小学校教諭)

 

 

 


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