教育福島0075号(1982年(S57)10月)-007page
層が、約一メートル五十センチほど続いているのである。しかし、植物化石の薄層だろうぐらいに思っていた。たまたま、その場所をハンマーとタガネで掘っていくと、その茶褐色の組織でできた、まさに脊椎骨と思われるものがでてきた。この時に、今まで見てきた茶褐色の薄層、一連の大型脊椎動物化石であることに気付いた訳である。
後に分かったことだが、この一連の骨が推定する約六メートル五十センチにおよぶ首長竜でとあること、環太平洋岸アジア地域でこれほどまとまった骨格は初めてであり、長谷川、小畠両博士により「フタバスズキ竜」と和名がつけられた。同地点は、双葉層群の時代を論ずるうえで重要なフィルドとなっている。多くの双葉層群の研究者がおとずれたにかかわらず、私がこの首長竜の発見の光栄に浴した。
長谷川善和博士がある雑誌に先生の恩師であり、古脊椎動物学の権威であられた故鹿間時夫博士の談話として「化石の発見は見つけようとして見つけられるものではなく、神が授けてくれるものだ」と書いておられた。
私とのかかわりで御指導をいただいた先生方、四倉史学館長小檜山元先生、恩師である平工業高等学校根本守先生や、古生物学に興味を持ちはじめるきっかけとなった本、「阿武隈山地東縁のおい立ち」の執筆をし、その後も御指導いただいた柳沢一郎博士、国立科学博物館の長谷川、小畠両博士、平地学同好会会員の方々にも、首長竜は発見されるべく、時期を待っていたのかもしれない。
昭和二年、徳永、清水両博士により発見、報告された一つの小さな骨が、四十数年の時間の流れののちにようやく約一頭分の首長竜として発見された。
やはり、化石は神からの授かりものなのかもしれない。
フタバスズキリュウの骨格復元模型
ていげん