教育福島0075号(1982年(S57)10月)-031page
にかけたまま身体を前屈させ、両手で顔をおおったり、足をバタバタ床にたたきつけたり、更に大きな目を見聞いて涙ぐんでいた。これは自己を主張することばを持たないY児の精一杯の嫉妬の感情の表現である。定時排尿でY児をトイレットに連れだすと、T児が後からついてきた。T児は排尿したばかりなので教室に戻すと、急に奇声を発し、顔をゆがめ、かみつきそうな、大きな口を開け、廊下に飛び出して、床に両手をついたまま飛び上がっていた。
手を取って、すぐに便器の前に立たせたが、気持ちが治まらず、壁に額を打ちつけたり、両手で便器をたたいたりしていた。朝食がおかゆだったので腹がへっているのではないかと気がつき、給食がくるまで、カッパえびぜんを与えたら少し静かになった。給食の配膳を急いでやって食べさせたら、うなり声をたてながら半分ほど食べたころ、今度はケラケラと笑いだした。やはり空腹で泣いたのだった。しかし、T児を怒らせたきっかけは、担任が不用意に用いたことばだった。Y児もT児も差別されたと感じたときには、涙をこぼしたり、怒ったりもするのだ。彼等なりに喜怒哀楽をなんらかの形で表現できるのである。ことばかけも子供の心を考え真剣に対処しなければならないと、子供たちに教えられたのである。
私は教育を通して、その中から子供たちの才能を見つけ出すことが、大切であると思っている。ことばの力で子供の心をゆさぶり、才能を引き出すこともできるが、教材・教具を与えて指導することが大切であるのは言うまでもない。苦労して作った教材は生きてくるのである。子供たちに与える教材は、教師自身が必要を感じて作るのであるから、その教材を与えて指導していくうちに、子供の才能が発見できるのである。
「おや?この子は、こんなこともできるのだ!」という場面に度々出会ったものである。このよらに能力のあることが確かめられれば、それを伸ばすことができるのであるから、額に汗して「与える教育」をすべきであると思ら。
せっかく生まれ持ってきた才能があるのに、それを堀り出す努力が足らないばかりか、やっと芽を出してきたものを摘むような教育をしてしまって、その子の将来の進路まで、はばんでしまったり、曲げてしまったりすることがある。養護学校の子供の教育も、教育の基本は同じである。
額に汗しての教具作り
〈座談会〉
重度・重複障害児の指導あれこれ
福島県立猪苗代養護学校
司 昭和五十四年四月から、養護学校教育が義務制になって、障害の重い子供たちが本校にもたくさん入ってきましたね。
ひと口に重度・重複障害児といっても、そのあらわれ方は多様なわけですが、この子供たちの指導には、こうすればよくなるといら特効薬のよらな方法はありますか。
A いろいろやってみていますが、それはありませんね。なにをどう指導したらよいのか迷いました。
司 いまは?
A そうですね。なん人かの子については、苦心の末にこうしたらといら方法は見えてきましたが、まだまだ困っていることが多くつらいです。
B 昨年、中学部を卒業したT君は自閉児で、いくらか言葉は表出できました。抑揚のない一音ずつ切って話すくせがあった。
担任して間もないある朝、出勤していくと、学園の窓から「オ、オ、ゼ、キ、マ、ル、ダ、イ」と呼びかけてきたが、からかっているなと思って無視した。次の朝も、私はチラッと彼を見ただけで通り過ぎた。三日めも「オ、オ、ゼ、キ、 マ、ル、ダ、イ」ときたので、私は反抗的に「大ぜきマルダイ」と言い返してやった。
ところがT君、案外にこやかな顔で部屋に入っていったんです。四日めも、Tが呼びかけ、私が答える。「ハハー、これは彼の朝のあいさつだったのか」そら悟るのに五日もかかったんです。
司 T君の気持ちが読みとれないばりにネ。
B そうなんです。叱られる意味も、
バッテンの意味も分からない。注意されると反発して自分の胸を激しくたたく、飛び上がる、自傷(自分で自分の体を傷つける)、異食(異常なものを特に好んで食べる)とエスカレートして困っていたんですが、それからは叱りたいのを押えて、彼の気持ちに近づくよう努力しました。
C あのね、Gちゃんは足にまひがあ