教育福島0076号(1982年(S57)11月)-006page

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提言

 

唐人凧とセラミックス

 

陶芸作家 大竹五郎

 

筆者紹介

 

陶芸に独特の作風の創作活動をするかたわら、福島県窯業技術協会長として後継者の育成と指導普及に貢献した功績が評価され、昨年福島県文化功労賞を受賞した。

また、大正十五年来、三十二年にわたり高校教師として窯業教育に尽力する中で、昭和十一年商工省美術工芸展に入選したのをはじめとして、東北六県美術工芸展最高賞を受賞。日本窯業協会から「教育功労賞」と「功労賞」を重ねて受賞している。一方、若手陶芸家の育成や県の巡回技術講師として陶磁器製造の指導にあたり、従来のいわゆる「ろくろ物」から「型物」への移行の先駆者といわれる。

日本窯業協会評議員、県美術連盟副委員長などを歴任。現在、鶴ヶ城天守閣文化財委員長、会津美術協会顧問、会津若松市文化財保護委員。明治三十五年生。本郷町出身。

 

窯業という分野で永年産業教育に携ってきた者の一人として、産業教育のあり方について日頃考えることがある。産業教育の振興や更には産業工芸や文化の発展を促す原動力となるものは一体何であろうか。それを見つけだすのはなかなか容易なことではない。

私が子供の頃、唐人凧を掲げるのが盛んであった。会津地方独特のこの凧がいつ頃の発祥か定かでないが、素朴で均衡のとれた構造と何処かユーモラスな図柄の中に幽玄未知の魅力があった。当時子供たちは自分の手で竹を削り凧づくりに精を出した。寒風の中でお互い揚げ技を競い合ったものである。唐人凧は普通の凧と違って千変万化する気流を使い分けて糸を操らねばならない。木枯の吹く頃から町の空は凧についた鳴子が一斉に稔りをあげ、その様は少年たちが天空に夢を馳せる一大ページェントであった。

私は、微妙な糸の操りを通して子供ながらに気象の変化や空体力学を学んだような気がする。学校はそっちのけ、しかし朝夕遊びに興ずる中で色々な自然の法則を体得できた。このことは長じて窯業の道に入ったときに大いに役立つところとなった。本郷町の登り窯は会津盆地の気象と無関係ではない。窯の熱効率を高めるためには窯場を東南向きに築かねばならない。気流の関係から合理的で、火焔の効率が上り製品の歩留りがよい、つまり生産性が高く、一等品の瀬戸物が多く生産できるのである。当然ながら西向き、北向きの窯は歩留りが悪く、やがては衰退していく。私にとって凧揚げは、火焔や焼成の原理、築窯と気象の関係を知る原点となっていた。

 

 

 


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