教育福島0076号(1982年(S57)11月)-024page

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随想

 

心かりたてるもの

 

半澤保壽

 

半澤保壽

 

日本人が同じ日本人に対し、突然英語で話し始める。話しかけられた方は一瞬戸惑いの表情を見せるが、やや間をおいた後、英語で応じ始める。ある人は、たどたどしく、ある人は流暢にまたある人は、非常に雄弁に。

「この研修会は全期間を英語で通すこと、特に食事の時などは英語を通して外国の事物や作法を知る絶好の機会なので、有効に利用すべきである。このルールに違反する者は、校長に呼び出され、研修会から追放されることもあり得る」というような趣旨が、オリエンテーション時に言い渡され、ある程度予想はしていたものの、大変なところに来てしまったなと改めて感じるのである。実際、一日の生活の全てが英語一色の世界なのである。

英語オンリーのこのような日本人同士の光景を、部外者の目は、きっと奇異なものとしてとらえるに違いない。もっとも、私自身、最初は何やらおかしくて、笑いをこらえながら応答したのではあったが……。

第一日目は開講式に続いて参加者百十八名を十クラスに分けるためのテストがあり、その夜は歓迎会となる。全国から集まったさまざまな学校の先生たちが、米人の講師を取り囲んで熱心に話し始めている。アルコールの助けもあってか熱気が立ちこめる。先生たちもまさにさまざまで、六、四の割合で男性が多いが、年齢は二十代から五十代、なかには六十を越えていると思われる人もいる。にこやかな表情の奥にある真剣さが、どの人からも感じられる。しかし、この熱気は一体何だろう。暑さを物ともせず遠路しかも私費で参加している人たちを引きつけるものは何なのだろうか。後日講師の先生が「ここに支払われた費用でハワイ旅行ぐらいできたろうに本当に熱心に勉強されて敬服の外ない」と感想を述べられたが、私も全く同感であり、英語教育に携わる先生たちの向学心には、ほとほと感心するばかりである。

一夕、「日米貿易摩擦」という講座に出席したがアメリカ人の講師の意見に猛然と反ばくし、勤勉さという点から日米間の考え方の相違を述べられた先輩の先生の熱のこもった鋭い語調が思い出ざれる。総じて若い先生の方が意見をずばりと述べるようであったがいずれの先生も新知識の吸収をめざして終始熱心に参加しておられた。また「もしかすると私たち若い世代は、仕事中毒と呼ばれる戦中派の築いた今日の経済発展の恩恵に、ただ乗りしているのかもしれない。それはそれで有難いとは思うが、人生は短いのだから働き虫にはならずに人生を存分に楽しみたい」と述べた女子先生の言葉も印象的であった。ともあれ対話や聴講の中から新知識を得る喜び、すなわち知る喜びが私の心をかり立てるのである。この知る喜びを多くの生徒に伝えてやりたい、また悟ってもらえたらと思ったのであった。恐らく私たちの心をとらえ、かくも強烈に引きつけられる二番目の理由は、講師の先生がたの魅力的な人柄であろう。実際、朝の講義をはじめ、各小クラスで語学の演習を担当される先生、午後や夕食後の講義をされた諸先生の識見、熱意、真摯さ寛大さは圧倒的であった。教師の魅力的な人柄が、如何に学習意欲をかき立て充実感と幸福感を与えるかを身をもって味わうことのできた小田原一週間であった。このような真摯さ寛大さは、どこから生ずるのかという問いに、「恐らく優しい両親と良い先生に恵まれたせいでしょう」と、はにかみながら答えてくれた女の先生は、自身の故郷ネブラスカを懐しみながら想い出話をまじえて読書指導法を説いてくれた。「今までの説明で納得のいかないところはありませんか。よくわかってもらえたでしょうか」と、心の底から自分の伝えようとしていることが相手に理解できているかどうかを確かめながら話を進めて行く態度に、自然と私は日頃の生徒に接する己れの姿勢を反省させられたのであった。

外国語に上達するためには、言葉だけでなく、その国の文化と合わせて学ばなければならないと言われる。そして、文化を遺し伝えるのは、他ならぬ「人」であってみれば、教師自らが優れた先人との邂逅や豊かな人間関係を通して得た「こころ」を、後代に伝える役目があろうと思うのだが、どうであろうか。

(福島県立安達高等学校教諭)

 

 

 


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